「通話3分」「施術ゼロ」で痛みを完治させる、かず院長のプロフィール


こんにちは、かず院長です。

僕のことをあまりよく知らない、
という人もいると思うので、
自己紹介をさせていただきます。

僕は治療院をもたず、
施術もしないで、

オンライン完結で
痛みと無縁になる方法を
教えてる人です。



昔から痛いことが嫌すぎて、
痛みを減らす方法をまなんだ結果、

患者さんの痛み改善を、
施術ゼロ、通話3分で
手伝えるようになりました



SNSのフォロワーも12万人を超え、
かの有名なヒカキンさんにもフォローしていただけています。


僕のセルフケアはこれまでに
TikTokやYoutubeで

「5000万回以上」再生され、
何万回と患者さまの痛み改善を
お手伝いしてきました。

施術しないで患者さまの
痛みを0にするなんて

信じられないと
思うかもしれませんが、

実際に改善するための
流れがあって、

その流れの通りに
実践していただいている方は、

本当に
薬も使わず、
通院もせずに、
痛みと無縁の毎日を、

過ごせるように
なっています。

日本中で治療院を持たず、
施術もしないで、

セルフケアのみで、
痛みと無縁になる方法を
発信している人は、

僕くらいしかいないので、

通院0、薬0、努力0で
痛みや不調と無縁になって、

快適な人生を手に入れたい
と思うなら、

僕から学んでいただくのが
おすすめです。

12年以上の月日と、2500万円以上のお金をかけて学んできた痛み改善のノウハウを、

素人でも使いやすく、圧倒的に効果を出せるセルフケアとして形にしてきました。

痛みを減らし、
痛くない状態を長持ちさせ、
痛みと無縁の体に整える。

この流れに沿って、
セルフケアを使っていただければ、

専門知識がなくても、
自分の体調を整えることが
できるようになり、

死ぬまで快適に過ごせる体を、
自分で手に入れることができます。

健康な体に整えることができれば、趣味、仕事、家事、育児、旅行、買い物、スポーツ、レジャー、なんでも楽しめるようになります。

健康な体さえ手に入れてしまえば、

お金も時間も手間もかからなくなり、快適な人生を取り戻せますし、むしろ通院しない分のお金も時間も増えるので、

今よりもさらに良い人生に
変わることができます。

そんな最強のノウハウを、
本気で痛みを改善したい
あなたのために用意し、
発信しています。


僕は治療家としても活動してきました。東京で8年開業し、多くの方も施術してきました。

全国チェーンの経営者、建築関係の軽視者、映画監督、投資家、モデル、医者、看護師、薬剤師、税理士、サラリーマン、プロスポーツ選手、主婦、子育て中のお母さん、寝たきりの方、半身麻痺の方、難病指定の方、などの痛みを減らし、

快適な毎日を作る
お手伝いをしまくった結果、

「このままじゃ本当に良くなったとは言えない」と気づきました。

僕の施術を、何度も必要としてくれるのは嬉しいのですが、

僕一人で多くの方に、
施術をし続けることは
とても困難でしたし、

体を整えるために
通院し続けているのは、

本当の意味で良くなった
とは言えないと思いました。

そんなある時、一人の患者さんが通院できないほど体を悪くしてしまいました。

通えないけど、かず院長に教えてもらったことを試してなんとかやっていくよと言われ、

僕はそれだけじゃ足りないと思ったので、

自分でも痛みを減らせるようになる方法を用意して、動画でいつでも見れるようにしました。

その動画を見ながら真似してくれたら、忘れることもないし、やり方がわからなくなることもないので

これを見ながら体を楽にしてくださいね、と伝えたらとても喜んでくださり、

施術をして楽になった効果と同じように、自力でも痛みを減らしていただけるようになっていきました。


そんなことは治療家としてありえないと思っていたのですが、

実際にやってもらうと、

施術0でも症状を減らすことができると体感していただける人ばかりでした。


そこで僕はこれまでの治療を極めようと生きてきたことを反省したんです。

患者さまが貴重なお金や時間を使ってきてくれるのはありがたいことだけど、それって本当に患者さまのためになっていないなって思いました。

通院する時間も、僕に合わせて予約する手間も、僕のところに来るまでに感じている痛みや不調の時間も、

自分でケアできたら、全部好きなように使える時間に変わります。当然治療費も払い続ける必要はありません。

痛みを減らそうと、通院するまで痛みを我慢する必要もありません。


自分で痛みを減らしたい時に減らせるようになったらいいじゃないですか。

僕は治療家として今後やるべきことはこれだ!って気づきました。

それからオンライン完結で患者さまをサポートするようになり、

本当にいろんな人の痛みや不調改善をお手伝いしてきました。

治療の技術を学びまくり
五輪トレーナーの知識も持って
病院のリハビリも学んで
ダイエットもできるようになり
自分が鬱から復帰したのでメンタルケアにも詳しい
健康に生きられる体のセルフケアに超詳しい
施術なしで楽になる方法を教えている

痛み改善の知識があり、
リハビリの知識もあり、

運動機能を高める知識もあり、
メンタル面のケアも得意で、

子どもから94歳まで
セルフケアでサポートしている。

どれか一つに詳しい人はたくさんいますが、これら全部に詳しい人間というのが僕の特徴です。


今となっては、体が痛くなっても通院することはほとんどありません。

自分で快適にできるし、
僕に関わる患者さまの多くも

通院不要の毎日を
過ごせるようになっています。

僕の過去から現在に至るまで、
全てお伝えしていますし、

痛みや不調を無縁にするための
コツも話しているので、

ぜひ読み進めてください。


以下の目次をタップすると
その目次から読めます。

Contents

かず院長の経歴や生活

箇条書きで僕の自己紹介として、患者さまがどう改善していったのかを紹介します。

僕が実際にオンライン完結で痛みや不調の改善をお手伝いした結果どうなったのかをまとめておきました。

怪しいと思うかもしれませんが、全部事実です。

⭕️痛み系
・デスクワークで体が固まっていたけど、ヨガを取り入れて仕事の効率アップに繋がった
・頭痛持ちだったが、週6日使っていた痛み止めを、使うことがなくなった
・関節炎に悩んでいた人が、痛みに悩まなくなった
・肩こりが1ヶ月で解消(頭痛の解消にも繋がった)
・ストレートネックが2ヶ月で80%解消(若返り効果、二重顎の改善)
・猫背の改善(2サイズバストアップ、肩こり解消、頭痛解消、不安症の改善)
・ぎっくり腰の解消(痛みの改善、動きやすさの改善、筋力強化、予防)
・腰部ヘルニアの歩行困難者が仕事復帰(介護職)。痛みの再発はなしとのこと。
・変形性膝関節症の人が毎日散歩を楽しめるように改善
・五十肩で90°しか上がらなかった肩が4ヶ月で150°まで快適に上がるようになった
・足の痛みで歩けなかった人が仕事中に走り回れるようになった
・腱鞘炎で持つのが大変だったけど、セルフケアで痛みが0になれた
・毎日痛み止めを飲んでいた首から背中の痛みが2ヶ月で嘘みたいに軽くなった
・痛みが減ると油断してまた痛くなっていたんですが、「まだダメだよ!」ってかず院長に言われてると思ったら油断しなくなりました。

⭕️疲れ系
・疲れで余裕がなくなっていた怖い人が、元気になったことで優しい上司に変われた
・自律神経失調症と言われていた辛さが半減(生活レベルが向上し仕事復帰も叶った)
・足が毎日つっていた人がつらなくなったことで睡眠の質が爆上がり、肌艶が綺麗になったと褒められた
・立ち仕事の疲労蓄積を解消(疲労感の減少、体力の向上、〜しながらで痛み解消)
・寝ても取れない疲れが食事改善と簡単な運動習慣で劇的に改善した
・毎日の眠気を凌ぐエナジードリンクを飲まなくても良くなった
・だるくて動きたくなかった自分が嘘みたいに動きやすくなった
・家に帰ると動きたくなくなっていたけど、明日の朝が快適になるのでケアをするようになった。やれば明日の朝が最高になれるから頑張れています。
・糖分の摂りすぎは自覚していたんですが、食事調整でここまで変わるとは思いませんでした。自然とお菓子を食べる機会が減ってるので疲れが減って節約もできてすごいです

⭕️病気系
・冷え性で痛みもあったが、冷えが改善し痛み0になった

・生理痛が重くて仕事できなかった人が、期間中でも勤務可能になった(薬なし)・風邪を引きやすかった人が朝にやる体操を行ってから風邪を引きにくくなった
・不安などがあり、自律神経の調整のために薬を18種飲んでいた人が薬0になった
・過食症の方が無理なく改善し、過食しなくなった
・拒食症の人が食事を楽しめるようになった
・糖尿病(HbA1c9.5→6.0まで減少)
・一日2時間睡眠の不眠症から7時間眠れるようになり、ダイエットにも成功
・血中の脂肪が多かったけど、6ヶ月で大幅に減少できたのでハッピーでした
・健康診断でいつも引っかかっていた肝臓の数値が引っかからなくて安堵しました
・血圧が高く辛かったのですが、最近は食事と水分調整で落ち着いています

⭕️健康・スポーツ系
・運動習慣を持ちたかった人が運動を継続できるようになり、スポーツ大会に出場

・足関節の捻挫から復帰し、テニスへの競技復帰
・ゴルフ肘の痛みが消えてフルスイングできるようになり、楽しくプレーできるようになった。
・力が伝えやすくなって、ソフトテニスで強いボールを打てるようになった
・一試合目から全力で試合に入れるようになった
・競技生活で怪我が減り、不安が激減した
・疲れにくい体に変われたので、仕事も私生活も快適になった
・練習中に体力が持つようになったので集中力が切れずに済みます
・やりたい動きができるようになり運動だけでなく私生活も楽になれた
・熱中症になりにくい体を作れるようになった
・冬でも動きやすい体を準備できるようになった
・開脚がしやすくなって、テニスのコートカバー範囲が広がった
・腰の痛みを我慢せず、ゴルフ中も気にせずプレーできた

⭕️ダイエット系
・ダイエット(最大でウエスト24cm減少、体重19kg減少、服の3サイズ減少など)
・ダイエットのリバウンド0(サポート後リバウンドした人はいません。道具0)
 ロングブーツを履けなかった人がふくらはぎ-4cmで履けるようになった
・夏のTシャツの袖に隙間ができるようになって服を買い替えた
・下腹部ぽっこりが5ヶ月で激減して旦那に褒められた
・痩せたことで自信が持てるようになり、彼氏ができた
・高額のサプリをやめてリバウンドもなく痩せたので節約になった
・食事制限ではなく食事調整でストレスフリーに健康的になれた
・体が軽いってこんなに楽なんだと子供と遊んで実感しました
・好きな服が着れるので毎日楽しく過ごせています。嬉しいです
・一緒に頑張ろうって言ってもらえたので目標達成できて嬉しかったです
・諦めずに頼ってみることも大事ですね。間違った痩せ方から卒業できました

こんな感じで、僕は痛みや不調、不満などに対してアドバイスして答えてきました。

今も卒業生として僕に報告をくださる方がたくさんいて、

旅行に行けたとか、買い物でこんなもの買ってきたとか、家族の幸せ報告をもらって、僕の知識や経験が役に立ってよかったなと思います。

今でもLINEでちょこっとアドバイスしたら痛みを減らせて喜んでもらえたり、ちょこっと動画でやり方をアドバイスしたらその動画のおかげで手術が不要になったり、

そんな感じで痛み改善をお手伝いしています。

はっきり言いますが、痛みや不調の改善は知識と環境を用意して、実際にセルフケアを使っていけば、そんなに難しいことではありません

ただ、何事もそうですが、やることやらないと改善はしません。

・東大受験専用の赤本を買っても、問題集を解かなければ東大に受かることはありません。

・めっちゃ汚れが落ちる洗剤を買っても、使わなければ汚れを落とせません。

・超美味しいお店が予約できても、実際に行って食べてみないと美味しいかなんてわかりません。

これまでにアドバイスしてきた方も、改善しようと思って1日3分からでもできる方法を使ってきただけで、これだけの成果を手に入れてきました

僕たちにとっては、
痛みや不調は『改善するのが当たり前』です。

最初は難しいと思っていたとしても、実際に3分程度で痛みを減らせる体験をした後は、こんなに簡単なことでいいんだと思えるようになっています。

あとは部屋の掃除をするのと同じように、次々と汚れをきれいにしていく感じで、痛みを着実に減らしていくだけです。

そうやって楽になれる方法が使えるようになったらそれでOK!と思うかもしれませんが、

これだけだと痛みが起こる生活は変わりません。

ここから必要なのは、痛みがない状態を長持ちさせることです。

治療院や病院、痛みどめやサポーターなどのその場しのぎの対策だけでなく、

あなたの日常で痛みが起こる理由を減らしていく必要があります。

でも何が悪化の原因となっているかは自分だけでは気づかないものです。だから僕が悪化の原因もまとめて提供しています。

そうやって悪化しにくくなったら、あとは痛みが起こらない体に整えちゃえばOKです。

痛くなる時は体のバランスが崩れていたり、動きにくさが出てしまうような状態になっています。

症状ごとに整えたほうがいいバランスがありますので、自分の状況に合わせて対策していけばいいだけです。

体の現状に合わせてやるべきことをやっていけば、素人でも簡単に痛みを減らし、痛くない状態を長持ちさせ、痛みが起こらない体に整えることができます。

そうやってやっていった結果、これまでサポートしてきた方は痛みや不調を無縁にして、快適な人生を手に入れてきました。

別に関わってきた患者さまが特別なわけじゃないです。

体のことについて全くの素人でも、僕から学んだことを素直に実践したことで、本当に手に入れることができた現実です。

もしかしたら、今これを読んでいるあなたは、そんなことできるはずないって思ってるかもしれませんが、

知らない世界を見て、その世界が当たり前になるのって最高ですよ。

落ち着いて考えてみてください。

痛みとか不調がなくなったらどうですか?はっきり言って最高じゃないですか?

そうやって今までの価値観のまま生きていたことで、僕は患者さまのためにならないことをやり続けてきた時期もありました。

でも実際に施術もしないで患者さまの痛み改善をお手伝いしてみたら、施術をする時以上にメリットがたくさんありました。

僕が施術すれば楽にできる、という偉そうな底辺鍼灸師から

患者さまが一生使える知識と技術で、死ぬまで健康でいられるお手伝いができる、宇宙一通わせない鍼灸師になりました。

患者さんの痛み改善を施術だけで完治させられるなんてことは生理学的にありえないのに、僕は頼られる存在として偉そうにしていたんです。

なんてバカだったんだろうって今となっては思います。ここに気づけて本当によかった。

でも今は、そうやって僕がダメだったときの反省と、これから改善しようと頑張っている方のために、

本当に良くなるためのノウハウを提供していこうと思えています。

そのおかげで通えない人でも完治して快適な人生を取り戻せたりしてるので、めっちゃいいなって思います。

まじで快適な体作れるようになったら最高ですよ。

僕はそうやって改善していく方々の話を聞くたびに幸せな気持ちになるし、手伝ってよかったなって思えています。

もっと多くの方の痛み改善を手伝えるように今もどんどん勉強していて、新しいことを学ぶたびにお手伝いできる方が増え、楽になった報告をもらえる機会も増えると思ったら、毎日楽しいです。

元々はただのうつ病治療家だった

こんな感じで書いていますし、凄そうに見えるかもしれませんが

僕はもともとただの治療院のスタッフで、能力も技術も知識もない底辺鍼灸師でした。

普通に勉強を始めて、マッサージもろくにできてねえって怒られまくって、

治療技術もねえ、知識も足りねえ、

お前は気を使うこともできねえんだから、もっと勉強しろって言われ続けてきました。

だから最初の頃はまじで自信がなかったです。

「なんでこんなにできないんだろう」って何度も泣いたことがあります。

それでもなんとか痛み改善を手伝える人間になろうって頑張っていました。

なんでこんなに頑張ってきたのかというと、僕自身が病弱で、怪我も多く、痛みに悩んできた人間だったからなんです。

家族も病気がちでした。

母は現在もほぼ白血病で仕事ができない体になっています。

祖母は糖尿病、全身の痛み、しんどいと寝たきり状態になっています。

妹は重度のアレルギー持ちで、愛知県の有名な大学病院でモルモットのようになっています。


僕は小さい頃から、体調不良や痛みが常に身近にあったんです。

痛みとか、不調で苦しんできた姿をたくさんみてきたからこそ、しんどい状況がよくわかります。

僕は痛いとか苦しいとか、辛いとかが死ぬほど嫌いです。

そうやって苦しんでいる人を見るのが嫌だったんです。

どうやってみないで済むようになるのかなって考えた先に辿り着いたのが治療家という道でした。

僕に関わる方の痛みや不調改善を手伝うことができたら、僕の周りには困っている人が減ります。

痛みがあることで、遊びも旅行も楽しめないとか、家族や友人との時間を作ることもできないとか、そういうのが嫌だったので、楽にできる人間になろうって思ったんです。

最初はマジでダメダメでした。めちゃくちゃ勉強してるのに治してあげられない、なんて偉そうに考えて、うつ病になったこともありました。

でも諦めようとは思えませんでした。僕は痛みを減らす知識と技術と経験を磨いていきました。

そうやってなんとか学んでいくうちに、治療院でも患者さまに痛み改善を体感してもらえるようになっていったし、指名されて稼げるようにもなっていきました。

気づいた時には、知識も技術も患者さまの改善に役立つくらいになっていました。

痛み改善を学んでいくうちにある本質に気づいたんです。

その本質を軸に患者さんの状況に合わせて、これやってみたらいいんじゃないかな?というのを積み重ねていったら、本当に楽になってもらえるようになりました。

治せない治療家と、治せる治療家はここが違うってことに気づきました。

本気で改善したい人は治療院に通うけど、通院することが実は痛み改善を邪魔してしまうことがあるということに気づいたんです。

この事実に気づいてからは、僕の治療家人生は変わりました。

痛み改善の本質を知ったことで、関わる患者さまが本当の意味で症状を減らして、楽になれるようになった最大の転機だと確信しています。

痛みを治すために重要なことは、ゴッドハンドの治療でもなく、通院する場所でもなく、治療してもらう人間でもありません。

痛みを治すために必要なのは、あなたの日常を整え、治せてしまう生活を手に入れることだったんです。

体が良くなるメカニズムは超シンプル。痛みと無縁になれる2つの道

痛みと無縁になりたいなら2つのことだけ考えればいいです。

その2つとは

『治るに決まってる法則』
・痛みが強くなることをやめる(悪化する理由を減らす)
・痛みが減ることをやる(良くなる理由を増やす)

これだけです。

当たり前すぎるやん、と思ったかもしれませんが、治せていない人はこれができてなさすぎるんです。

僕には師匠が何人かいます。
・オリンピック見てたトレーナー2名
・鍼治療を極めた人4名
・整体の全てを教えてくれた2名
・テニスを教えてくれた2名
・僕のメンタルを救ってくれた1名

この方々が口を揃えていっていた共通点がこの治るに決まってる法則です。

例えば治療院に通う人で考えてみましょう。

治療を受けたその時は楽になった気がするけど、家に帰った後とか、寝た起きたら痛みが戻ってるなんてことよくありませんか?

せっかく5千円くらいの治療費を払ったのに、すぐに痛みが戻ってしまうんじゃ意味ないやん〜って思ったことありませんか?

これが、治せない人の例です。どういうことか説明します。

今回の例で言えば

悪くなる理由=あなたの過ごす日常
良くなる理由=治療院で施術を受ける

となりますよね。

でもこれが
悪くなる理由(量)>良くなる理由(量)
だった場合は良くなれないのです。

つまり、日常的に体が痛くなってしまう理由が多くて、痛みが減るようなよくなる理由が少ない場合は、痛みが改善していかないわけです。

じゃあ良くなるためにはどうしたらいいのかというと、

悪くなる理由<良くなる理由
となればいいわけです。

今回の例の人がこれを叶えるためには、日常的に痛くなる仕事や生活をしてしまっているなら、痛みが強くならないように通院する、となります。

具体的にはおそらく、1日3回くらい治療院に通わないといけないでしょう。

だって朝の仕事で痛めて、昼の仕事で痛めて、仕事終わりの生活でも痛める理由がありますからね。朝昼晩と、治療を受けないといけなくなります。

で、冷静に考えてみてほしいんですが、

そんなに通うのは無理って話なんですよね。

だから通院するだけじゃ足りなくて、痛みが戻ってしまったり、なかなか良くならないってことが起こるんですね。

これ、治療院も病院もわかってるんですよ。

良くなるためには良くなる理由を増やさないと絶対に改善できないんです。

だから「頻繁に通ってね」って言います。

来週またきてね、みたいな感じで。

なるべく短い期間で通って貰うと、楽になれるよって言います。

そうすれば『よくなる理由』が増えますからね。

だから何度も通ってねって言うんです。

良くなる理由が増えると、同時に悪くなる理由も減っていきます。

例えば治療院に行ったあとって不摂生しないようにしたり、ちょっといい姿勢でいようかなった思ったりしますよね。

そうすると、痛みが増える理由(悪くなる理由)が減るので、ちょっと治療効果が長持ちするようになります。

でも自然とそんな思いは忘れます。

僕ら人間はずっと覚え続けようとしても忘れてしまう生き物なので、痛みがない状態が続くとつい忘れてまた痛みが増える理由(悪くなる理由)を増やしてしまいます。


厄介なことに、ちょっと楽になってしまうと、もっと痛み減らそうっていう思考がなくなります。

一番やばいのは、治療を受けた後すぐは確かに楽になるかもしれないけど、

それで『治った!』と思ってしまって、また痛くなるようなことやっちゃうんですよね。

そりゃ治らんぜ、って話なんですよ。
痛みを増やすことやっちゃうから、良くなる理由を増やさないと悪化してしまいます。

だからこそ、頻繁に通院させるのは理にかなっているのですが、

何度もいうけど、そんなに何度も通うの大変じゃないって話なんですよね。

だからこそ、セルフケアをやればいいんです。

セルフケアはめっちゃ便利です。

いつでもどこでもできます。
仕事の合間でもできます。

通院する手間も時間もかかりません。

思いついたらサクッと使えます。

サクッと悪くなる理由が減らせるんです。

しかもサクッと良くなる理由も増やせます。

通院するという対策で、
『悪くなる理由<良くなる理由』を作るのは超大変だけど

セルフケアを行うようにすれば
『悪くなる理由<良くなる理由』を作るのは超簡単です。

つまりめちゃくちゃ治しやすくなります。

僕はこれに気づいた時に、なんでもっと早く気づかなかったんだと思いました。

痛みや不調が減れば、なんでもできる。まじで自由になれます。

痛みや不調がなかったら、お金を稼ぐこともできるし、好きな人と遊びに行くことだってできます。好きな時に買い物しにいけたり、旅行にだっていけますね。

LIVEに参加してもいいし、テニスやゴルフをやってもいいです。

体が資本とはよくいったもので、体さえ良ければなんだってできます

僕の発信では、僕の経験や患者さまの経験をもとに、

なるべく早く、
わかりやすく、
より簡単な方法で、

効果も高く、改善を体感できる方法で、

あなたの人間関係や、家族や友人とのプライベートを犠牲にすることなく、どんどん快適な体を手に入れられるようになる方法を話しています。

ぜひ興味のあるものからみてください。

そして僕がこのような活動をご覧いただく上で、僕の過去の生い立ちや経歴を共有しておくと、

より理解しやすくなりますし、
僕のブログや動画の内容を理解しやすくなります。


なのでここからは、僕の過去の生い立ちの物語を
今から共有していこうと思います。


人生振り返ってるので長いです。
でも読むだけで痛みを減らすコツが学べるのでぜひ読んでおいてください。

▼ ▼ ▼

ーーかず院長の物語ーー

僕は生まれてからずっと体を使い倒して、病気がち、怪我ばかりの人生でした。

背の順だと一番前だったし、ガリガリでした。

怪我も多くて、小学校の時、初めての林間学校も熱が出て、泊まることすらできずに帰ったり…

交通事故に遭って、左半身が麻痺したり…

うつ病になって2年ほど酒とタバコに溺れる毎日を過ごしたり…

病院と治療院がお友達で、小さい頃からお金がかかる子どもだったので、親にはとても感謝しています。

はっきり言って
健康に憧れてきた人生でした。

そんな僕がどうやって病院や治療院と無縁の人生を手にいれ、悩んでいる方の痛みや不調改善を手伝えるようになったのかを話します。

生まれてすぐに3つの問題がみつかる…

僕は愛知県名古屋市に第一子、長男として生まれました。

1月の寒目の日に生まれ、出産はとても大変だったと聞いています。無事に産まれてあーよかったね、これから元気に育とうね、と幸せいっぱいの空気だった出産直後…

「アレルギーがキツすぎる」
という問題が発生したんです。

僕は生まれてすぐ、乳製品、小麦、卵にアレルギーがあると判明しました。これが本当にきつかったようでして。

まず産まれたての僕は、母親の母乳を飲むことができませんでした。普通の粉ミルクも小麦や乳製品がダメで飲めません。

生まれた瞬間からちょっぴりお高い豆乳の粉ミルクを与えられ、よだれが多すぎることで衣服を何着もダメにして、まあーほんとに小さい頃からお金と手間のかかる子どもでした。

そのせいか太りにくい体質となりました。食べさせようとしても、野菜は嫌いで絶対食べないし、食べたいものだけ食べて、食べたくないものは絶対に口に入れることすらしなかったので、なかなか体重も増えなくてガリガリでした。

手足はちゃんとついていたし、目も鼻も口も、全部ついていたけど、産まれた瞬間からすこしだけ普通の人よりも生きづらい状態、生きることにストレスがかかるような状態でした。

それでも本当に辛抱強く育ててくれた親にはとても感謝しています。


僕も親になって、食事のことで悩むのは本当に大変なことだなと感じているので、母の苦労はすごかったんだろうと思います。

アレルギーがなくても子どもってご飯食べてくれなかったりするので、めっちゃストレスだっただろうな…

当時のことを聞くたびに、僕の母はよくやってこれたなって思います。笑

ちなみに今となっては小麦も乳製品も大好きで食べられるようになったのですが、

卵に関してはいまだに生だと美味しいとは思えず、むしろ体が吐こうとしてくるので、しっかり加熱したものとか、卵の匂いが少ないものを好んで食べています。

ここから僕の人生は始まりました。

幼稚園時代〜仏の園長、キムタク、最初の大怪我

産まれた翌年に妹が誕生しました。僕は面倒を見たがり、それはそれは厳しめのボディタッチで愛情を注いだそうです。

妹に怪我がなくてよかったねと今は思います。笑

まあそんなことはさておき。

4歳を迎える年度に僕は、仏教系の色がある、スキンヘッドの女性園長が仕切る幼稚園へと入園します。

イベントがあると甘酒飲んだりするし、制服もしっかりしてたり、挨拶とか礼儀とか厳しかった記憶があります。

実は僕、この園長は人間じゃないんだろうなって当時は思っていました。笑

とても優しい笑顔で丁寧な口調の園長だったので、神か何かだと思うことにしていたんだと思います。

その幼稚園はとても教育がしっかりしているところで、挨拶とか、マナーとか、すごく丁寧に教えてもらえました。

おかげで僕もとても良い子になる方法を手に入れることができました。

わんぱく小僧から、ちょっと聞き分けが良くなった小僧に進化しました。

でもその一方で、ちょっと変わった子としても育ちました。

よくいるお調子者で、イタズラが好きで、当時の木村拓哉さん(元SMAP)に憧れすぎちゃっていたロン毛のチビでした。

チビのくせに我は強くて、俺が主人公だよね!くらいの気持ちで過ごしていたみたいです。

周りにいた子たちは、本当によく僕と仲良くしてくれていたなと感謝しかありません。

当時から負けん気は強かったんですかね。

かけっことかで負けたくないし、チビだからって舐められたくなくて、声とか動きは大きくしようともがいてました。


アレルギーとかもあったし、体は細くてガリガリだったので、人より劣っていると思っていたのかもしれません。

劣等感がこの時点であったのか、どうにかもっとよくなりたいなって思ってたんでしょうね。

母が元美容師という影響か、ただのヤンチャ思考だったのかわかりませんが、この時から僕の髪の毛は明るめの茶色に染まっていました。

僕が髪の毛を染めてるのは普通、みたいな感じでしたね。金髪に近い時もありました。


僕は目の色がわりと茶色なので地毛ですと言い切っていたみたいです。

そんなわけはありません。笑
でもなぜか許されていました。

そんな僕は運動が大好きでした。

アレルギーで食事を制限されているのと偏食だったせいか、

人一倍小さくて、体はガリガリだったけど、とにかくみんなと体を動かして遊ぶのが好きだったんですね。

で、あるとき父に家の中で追いかけ回され、タンスの上に登れるほど活発だった5歳の僕は、父にあっち行けー!と腕をブンブン振り撒くって、

テンション上がりまくった結果、ヒーローのように飛び蹴りで父を倒そうと思ったのか、なぜか父に飛びかかり、全く父に足が届くことなく、

そのまま腕から床に落ちて、
肘が脱臼しました。

これが人生初の激痛でした。

おそらくこの体験が原因でしょうね。僕は痛いことが死ぬほど嫌いになりました。

脱臼自体は、愛知県の中でも超有名な接骨院ですぐにはめてもらえました。

この接骨院は一見さんは受信することができないところだったのですが、

なぜかその治療院にコネがあったおばあちゃんのおかげで、なんとかみてもらえて10分で治療は終わり、帰り道は痛みなくスキップして帰っていたそうです。

今思えばこの出来事も治療家になりたいと思えるようになったきっかけかもしれませんね。

思い返しても普通にすげえ技術だったなって思います。

コワモテのおっちゃんで、元々軍人さんだった、有名どころだと愛知県出身の「イチローさん(野球で活躍した方)」がきたこともあるんだとか。

実績も技術もすごい治療院だったなと今なら気づけますが、当時は怖いし、クラシック音楽が流れててなんか異世界だなって思ってました。

ちなみに通院して施術を受けるまでは、車のちょっとした振動でも、とんでもない絶叫で泣いて痛がり、この世の終わりなんじゃないかというくらい痛がっていたらしいので、僕は痛みにとことん弱かったのでしょう。

そのくらい小さい頃から痛いのが耐えられない子どもだったんですね。

だからケンカとかあんまりしたくありませんでした。

痛いことになりそうなものは極力避けていました。

小学校時代〜生意気、傷まみれ、病気がち、推理小説、卓球、水泳

小学校に入っても、幼稚園の延長で生意気とお調子者は変わりませんでした。

その結果、僕は痛いことが死ぬほど嫌いなくせに生傷が絶えませんでした。

家の目の前にあった大きめのドブに落ちて太ももの内側をガッツリえぐって大泣きしたり、

ボロアパートの外壁の凹凸をよじ登って、滑って落ちて打ち身で苦しんだりしました。

親なら普通「落ち着いて」って思ったかもしれませんが、

男の傷は勲章だ!なんて母親が言うもんだから、さらに調子に乗って遊び倒して怪我増やしてました。笑

栄養不足すぎたので、口内炎ができまくって、口内炎ができた時は周りを噛んで血を出せばいっとき麻痺して痛くないし、飯も普通に食えるな、なんてことを小学校の2年生くらいの時には習得していました。

ほんと、おばかちゃんだったなと思います。

でもこの経験があったからこそ、これ以上やると痛くなるとか、これは怪我するからあかんな、みたいな感覚が養えたのかもしれません。

僕は患者さんを施術していても、これ以上は痛いよね?というのを感じ取るのが上手いです。

僕がそう思っているのではなく、患者さんによく言われるのでおそらくそうなのでしょう。

僕が施術をしている時に、この辺までなら大丈夫そうですか?というと、大体限界に近いレベルだそうで、よく驚かれます。痛みに敏感なので、人の痛みにも敏感なんでしょうね。

痛いのが嫌いなので、人が痛がるのもなんか嫌なんです。これもきっと僕が治療家を目指して行ったきっかけでしょう。

母親とか、妹とか、僕の知り合いが痛そうにしてる姿を見るのがいつも嫌でした。

心配もそうなんですけど、あーそれ痛そうだねえ、どんくらい痛いんだろう、って想像して自分も辛くなる、みたいな。

それがまた嫌なんですよね。なんかリアルの想像できちゃうから。

そんな傷まみれの僕ですが、
実は僕の身内はスポーツマンが多くて、

おじいちゃんは卓球の実業団にいたらしいし、

父親は東海地区代表レベルで五輪選考までいたらしいサッカー選手、

母親は水泳やってて、
母の弟はバレーボール、
父のお兄さんは野球、

そんな感じでスポーツがめっちゃ身近にあったんですね。

だから僕は生まれた瞬間からサッカーボールが友達でした。

リアルにキャプテン翼状態です。

でも痛いの嫌だし、ちょっとぶつかられたら痛いことにむかついて殴っちゃうから、

「俺サッカー向いてないからやめるわ!」と言って、僕をプロサッカー選手にするという父の夢は一瞬で失われました。

それでも運動は好きだったから毎日走り回ってたし、飛び回ってたし、逆立ちしたり、壁よじ登ってみたり、木登りしてました。

で、すぐ怪我してました。
まじで学ばないですよね。

好きなことばーっかやってました。

で、また怪我してやりたいことできなくなって、治ったら好きなことして怪我して…この繰り返しでした。



小学校5年生くらいの時に部活に入らないといけない学校のルールで、その当時流行ってた「ピンポン」という映画の影響を受けて僕は卓球を始めます。

窪塚洋介さんという俳優さんが主役をやってて、めっちゃかっこいいーって思ってたんですよね。

僕はお調子者だったので、主役の「ぺこ」というキャラになりたい、俺はヒーローになりたい、なんて思っていました。今でも見返すと好きだなーって思いますもんね。

飛んではねて、
誰かのヒーローで、

期待されて、憧れられて、
有言実行、どんどん進化していく。


今思い返してもかっけえなって思います。

もし「ピンポン」をみたことない人は見てください。

卓球知らなくてもちょっと卓球やってみたくなるし、なんか強くなれる気がしてきます。


話を戻しましょう。

僕のおじいちゃんは卓球がめちゃくちゃ上手くて、僕は同年代に負けたくないからとにかくおじいちゃんに教えてもらいたいって思ってました。

田舎の福祉体育館で、1人70円払って卓球台を借りてめちゃくちゃ練習してもらったんですよね。

おじいちゃんも嬉しそうだったし、僕も上手くなれるのを実感できて嬉しかったなあ。

名古屋市には1万人卓球大会というものがありまして、なぜか僕はそこで3位とかになったことがあります。

運が良かったですね。あと勢いでなんかそのくらいまでいけました。じいちゃんんおかげ。


そのくらい運動に集中するのが好きだったし、負けず嫌いだったんですね。

何かに取り組むことを全力でやり続ける少年でした。

僕が治療家になっていったときも、必要な知識をかき集めて、どうにかして患者さんの痛みを減らそうとしまくっていたのは、痛みが改善できないという「強敵」に負けず嫌いが発動していたからかと思います。

実際、そのおかげか肩こりとか腰痛とか、多くの人が抱える痛みを減らすための知識はめちゃくちゃ身につきました。

運動をやっててよかったなと思えるのは、何かの目的に向かって行動し続ける「癖」がついたことかと思います。

当たり前だけど、成果って行動しないと現れないですよね。

その行動を起こすことが当たり前の思考になれているのは、小さい頃から何かを頑張ることを続ける練習をやっていたからかと思います。

行動すること、何かを続けることで、一定以上の成果は得られるんだと学びました。

それは今もずっと、患者さんをみ続けていても思います。

よく治る患者さんは悪化しないようにしてるんですよね。

あと、欲しいものは、欲しいと思って行動すれば手に入るものなんだなとも思えました。

勝負事の世界にいたので、努力の方向が違っていたり、質量が足りなければ勝てないということも学びました。

そういうことを知って、ますます負けず嫌いになっていきました。

だから強くなろうという気持ち、向上心はずっとありました。

今もずーっと治療の知識は勉強し続けているし、もっといい伝え方はないかって、治療法以外のところも勉強し続けているところです。

そんな僕も病気にはしょっちゅう負けていました。

まじですぐに風邪引く。
子どもクリニックの先生は
お友達状態でした。

「おーまたきたのかー。今日は熱か?お腹痛いのか?ん?」みたいな。笑

近所のおじちゃんくらいに思ってましたね。笑

僕は定期的にぶっ倒れてたし、アレルギーとか食事で野菜を一個も食べないから、栄養失調になりますよね。

だから栄養補給のための点滴もよく打ってました。

注射は痛いから嫌でした。点滴はそのままじっとしてないといけないからしんどかった。

読みたくもない本を読んだり、天井のシミの数を数えてました。

でもしょうがない。食べれないからね。アレルギーもあるし、野菜食べると吐き気しちゃうしね。しょうがないんだって思い込んでました。

体のしんどさが勝っていました。

早く楽になるならすぐにでもやってくれって思ってました。

で、楽になったらまた調子に乗って、風邪ひいて通院しにくる、みたいな。

今となっては子どもの医療費はタダだからいいですけど、僕が小さい頃なんて毎回お金かかってましたからね。

薬と点滴と診療で、結構お金かかっていたと思います。

これに関しても親には感謝ですね。

おかげで僕は調子が悪くなった時に自分だけではどうしようもないこともあるし、誰かを頼った方が絶対にいい、ってことを小さい頃から理解していました。

しんどくて動けないとかどうしようもないですしね。通院するのも遠かったから送ってもらわないといけないし。

大人になってから一人暮らしして体調崩した時はまじで辛かったなー。

助けてくれって連絡したかったけど、ベッドから動けなかった時はまじで死ぬなこれって思ったこともありました。

そん時はたまたま整体の師匠が弁当とか届けに来てくれて、すぐに病院連れてってもらったからよかったんですけどね。

あれなかったらやばかったかもなーって思います。

現状がどうしようもないとか、あまりに辛いなら誰かを頼ったほうがいいなってのはまじで思いますね。

そのまま悪化したら死にますもん。

肩こりは腕上がらなくなって生活が不便になるし、腰痛はまじで歩けなくなるし、痛み系ってちゃんと治さないとほとんどの場合悪化して人生が不自由になるから、人として死ぬんですよね。

だから痛いとか、辛いとか、苦しいって時は誰かを頼ったほうがいいです。

人として死ぬよりマシです。
死んだら何も楽しめないからです。

生き残ったほうが楽しい思いできるから、なるべく快適に生きるために使えるものは使ったほうがいいですよね。

小学校の低学年くらいから体調崩しがちで、大人になっても何もできなくなるくらいの体調不良になっちゃうような体って、どんだけ弱いんだって話だって感じですよね。僕もそう思います。

でもまじで弱かったんですよね。
生きることに一生懸命でした。

運動しまくって、勉強はサボってたけど、友達とも遊びまくって、授業は遊んでたけど、毎日楽しく過ごそうってしてました。

ある林間学校の時、バスで2時間くらいかけて移動して、親抜きで学校のみんなと一緒に寝泊まりしてキャンプとか、米炊いたりカレー作ったり、みたいなことをやる機会があったんですけど、

僕、バスの移動だけで高熱が出ちゃって、到着してすぐの全体集合の時に、近くにいた女の子いゲロ吐いちゃったことがあったんです。

今でも思い出すたびに申し訳ない、って思うんですけど、そんくらい体弱かったんですよね。

まじでチビでガリガリで、体調崩しやすいお調子者の少年でした。

そんな僕も小学校をなんとか卒業します。

で、中学校から僕の人生はちょっとずつ歪んでいったんです。

中学時代〜転校、いじめ、テニス、物語

僕は近所の中学校に入学しました。当時周辺の中学校から目をつけられるくらいにはヤンチャで有名な方々が先輩にいるらしいという噂を聞きつつも、楽しみだなと過ごしていました。

ですがある日、父親から引っ越すからと告げられます。

幼稚園、小学校と仲良くしてきた人、住み慣れた地域、なんか自分の街だって勘違いするくらいには慣れてきた頃に突然の環境の変化です。

まあ普通に嫌でした。

でも転校するしかない状況だというのも理解できたので、諦めました。

でもやっぱ納得いかん。

その流れで僕はグレました。

お調子者に磨きがかかり、誰にでもデカい態度で関わっていました。

チビのくせに偉そうにしてたんですね。そんなやつ誰も仲良くしようとしませんよね。

その結果、普通に嫌われました。

あいつとはあんまり関わらんほうがいいで、って感じで除け者にされて、さらに性格が悪くなりました。

なんで俺だけこんな目に遭わねえといけないんだ、みたいに勘違いしてましたね。

自分のせいなのに、です。

ほとんどの悪い環境って自分で作っています。嫌なら逃げればいいだけなんですが、そんなこと周りの誰も教えてくれなかった。

僕の悪いところは、なんでダメなのか、上手くいかないのかは考えなかったところです。

周りのせい、誰かのせい、俺は悪いことしてねえのに、なんてダサいこと考えてたんですよね。

だから全然よくなれなかった。体は良くならないし、心もダメになっていきました。

ダメになる理由はシンプルに自分本位だったから、です。

自分が楽しければいい、自分が嫌なことはしない、相手がどう思うかなんて考えなかったし、自分は引っ越したくなかったのに引っ越してきたんだからみんな優しくしてくれよ!

って思ってたんだと思います。

そもそも転校生なんて興味持ってもらえるのは最初だけです。

その最初からダメな感じ出してたらそりゃダメでしょう。

大人になったからわかりますが、こういった相手がどう思うかっていう知識が僕には足りなかった。

ゲームとか小説とか、自分が主人公の物語ばかり遊んでいたし、見聞きしてきた僕は、自分が気持ちいい捉え方をして、その主人公たちが人助けをしたり、感謝されまくる存在になっていたり、そうやっていろんなものを手に入れていく過程を見ていたはずなのに、気づくことすらできませんでした。

当時の僕は、相手がどう思うのかを読み取ろうとすることがどれだけ大事なことなのかを知らなかったから、何がダメなのかを認識できなかったんですね。

僕の治療家人生だけを見ても、先輩治療家さんたちから聞く話を振り返ってみても、体を治せない人って結構そういう人が多いです。

トイレを使ったら、水を流してね。

みたいなことって当たり前だと思うんですけど、オムツでしかトイレしたことない赤ちゃんは水を流すのが常識だとは思いませんよね。

そうなんです。知らないからそうすればいいのにってことができないんですよね。

僕も同じように、嫌われるようなことをついやってしまっていました。

やっちゃダメなことがわかってなかったんです。

痛みが減らない人も同じ感じ。

それやったら痛くなるべ、ってことを普通にやっちゃいます。

で、なんで痛くなってるんだろうって言います。

痛くなることやってるから、なんですよね。シンプルに。

痛み改善は結構簡単です。

それはもう、トイレ使ったら水流してね、くらい簡単なことなんですけど、どうやればいいのか知らなければ、赤ちゃんのように水を流さないままオムツの中で用を足すことになります。

知識は力なんですよね。

やり方さえわかっていれば、トイレは汚れずに済んで綺麗に保てます。

痛みも、やり方さえわかれば「痛みを減らせる」し、「痛くない状態を長持ちさせられる」し、「痛みと無縁の体に整えられる」ようにもなります。

それを伝えるために僕は治療家として活動してるんで、この記事以外もしっかり見てください。

おっと、脱線しすぎましたね。
中学時代の話に戻りましょう。

そんな周りから浮いていた僕は、なんとなくソフトテニスを始めます。

やってみたら楽しかったんです。

当時、テニスの王子様っていう漫画アニメが流行ってましてね。

漫画に出てくる中学生がめちゃくちゃテニス強くて、強敵をどんどん倒していくのが気持ちよかったんです。

「なんか俺もこういうのできたら楽しそうだからやってみよー」って感じです。

楽しかったから、なんとなく休みの日も同じ部活仲間と地元のテニスコート借りて練習したり、家の前で素振りしたりしました。

練習するとボールを上手く打てるようになっていきます。

ラケットの真ん中にボールが当たった時の快感は最高なんです。

それを何度もやりたくて、上手くなりたくて練習しました。

そうやって新しい環境にも慣れていって、友達って呼べる人たちも増えていきました。

中学生で転校した時は、慣れた環境から変わってすごい嫌な気持ちだったし、新しい環境に変わる時の負担はデカくて、なんならマイナスに思えることも多かったけど、

いざ新しい環境に踏み込んでみたらいいところもありました。

この記事の後半で出てくる、僕を救ってくれたヒーローとも、転校先で出会えたし、

なんなら友達は最終的に3倍くらい増えました。

新しい土地は楽しいこともたくさんありました。

綺麗な景色も見れたし、初めての彼女もできちゃったりして。

ちょっと遠くに自転車で移動すると、道路の角のところにめちゃくちゃ味の濃い唐揚げ屋さんがあって、

そこで仲間と一緒に唐揚げ食べるの、最高に楽しかったな〜

唐揚げが好きなのは、そういういい思い出があるからかもしれません。

今までの環境とは全然違ったし、全く知らないところに行ってストレスもあったけど、踏み込んでみたらいいところで、いい思いもたくさんしたんですよね。

世の中の人たちって、今の環境を変えることをとことん嫌います。

というか生物みんなそうらしいです。

これ、愛知県民は特にその習性が強いみたいです。

なんでかというと、仕事も仲間も遊びも学びも、普通のサラリーマンやってたら、まじで問題ないくらい愛知県は便利なところだからです。

仕事もたくさんあるし、お金使うところもあるから割と困らない。


しかも日本のどこに行くにも真ん中くらいにあるので都合よかったりするんですよね。

あとは身内を大事にする習性とかもあるので、仲間を置いてどっかに行くとかあんまりしない、みたいな。

その点僕はこの中学1年生の夏休みという、まじで意味わからん時期に転校したことで、環境を変えたりすることに抵抗がなくなりました。

強制的に環境を変えられても、適応するしかねえもんなって思えるようになりました。

その結果、色んな経験ができるようになったし、いろんな知識に触れることもできるようになりました。

ああ、環境を変えるって悪いことだけじゃないんやなって思えるようになりました。

新しい学校では今まで関わったことないタイプの人間がいっぱいいました。

初めはめちゃくちゃ動揺しました。

でも慣れていけば、こっちの人たちも楽しい人いっぱいいるやんって思えたりしました。

引っ越す前は、せっかく近所の中学校に進学して、ちょっといい感じになった女の子もいたのに、1学期が終わった瞬間に別の中学校に転校させられてブチ切れてた子どもだったんですが、

今思うと、あの時転校してたおかげで、どんどん新しいことに挑戦していく大切さを学んだのかもしれません。

実際、新しいことを手に入れようと行動し続けるのはとても楽しかったです。

僕は漫画とかゲームが好きで、自分の人生で新しいものに触れるというのは、レベル上げに近いなって思ってました。

自分がレベル上げをして、成長していった先に、何もしなかった時は手に入れられないような、すごいお宝とか、経験を得られる、って感じです。

だから今までやったことないことでも、ちょっと試してみたいかもって思えるようになりました。

ゲームとかでも新しい依頼とかクリアすると、ちょっと強い武器とかレアなアイテムもらえたりするじゃないですか。

探検してお宝とか見つけたりすると嬉しかったんですよね。

頼まれたことをこなしていったら、最強の武器がもらえて、どんどん強くなっていく。

これが楽しいって思えるようになっていました。

転校してしまったのはもう戻れないから、今をどれだけよくしていくかを考えた結果ではあります。

でも過去を悔やんでもどうしようもないですからね。

子どもの僕ではどうしようもなかった。嫌だったけど、受け入れるしかなかった。

だから変えられないものは諦めて、変えられるものを変えようとしたんです。

これはめっちゃいい経験でしたね。

どうにもならないことをいつまで考えていてもストレスになるだけだから、

どうにかできることを探したんです。

例えば親の年齢に追いつくことって絶対できないじゃないですか。

でも親より頭良くなろうと思えば努力次第でできますよね。

引っ越す前は、どうにかして大人になって、父親を懲らしめてやるんだ、なんて思ってたんですけど、絶対無理じゃないですか。

だから今回は我慢して、大きくなったらぶん殴ってやる、なんて思ってたんです。

チビで、ガリガリのくせに、ほんとえらそうだったんだよなあ。

弱い犬程よく吠えるってやつだったかもしれません。

でもそのくらい僕は転校しないといけない状況を作った父をギャフンと言わせたかったんです。

そうです、転校した直後からめちゃくちゃ反抗期でした。

父親よりいい会社に入ったり、いい給料もらったり、もっとかっこいい人間になろう、なんてこの時から思っていました。

どうしようもないところを受け入れて、どうにかできるところで戦って勝ってやろうとしてたんですね。

これは頭いいとかそういうんじゃなくて、そうするしかなかったんです。

環境を変えると負荷は大きいです。大人になる程できなくなります。

ほんとに嫌だった。引っ越しなんか絶対したくないって思ってた。

でもその分すごい成長できました。

新しい情報を手に入れることは大事だった

知らないことを知っていくのは良いことが多かった。

だからこそ、僕の子には苦労を勝手でもしろって言いたいです。



居心地いいところばかりにいるよりも、いろんなところに行って、いろんな経験をした方がいいよって教えようと思っています。

今までの常識とか、経験とかをどんどん更新していく、レベル上げは僕の毎日をより楽しく、充実したものに変えてくれたから、です。

テニスも練習きついけど、頑張ったらどんどん上手くなりました。

ちょっとストレスあったほうがむしろいいんやなって思えたりもしました。



あーうまくなんねえ!
どうしたらあんな強い球打てんねん!

ああ、なるほどな。
これやったらいいんか。

うわ、ほんとにめっちゃ打てるようになった!何これおもろ!もっとやろ!

みたいな。

相変わらず体調は悪めでしたけどね。チビでガリガリ、背の順は一番前でした。

なんかあったら風邪ひいちゃうし、インフルエンザにもよくなりました。

あいつまた休んでるやん、みたいなのはしょっちゅうでした。

勉強するよりも、ゲームとかテニスしてたほうが楽しかったから、授業はサボったけど練習だけ参加しに行くとかもしたことがあります。

好きなことやるためには健康的じゃないと楽しめない、というのはこの時からよくわかっていました。

でもなんか体調崩しちゃうんです。
当時はなんでかわかりませんでした。

でもこのくらいになったら小麦と卵と乳製品は普通に食べられるようになっていました。

病的だったのは果物アレルギーになっていたからでしょうね。ビタミンとかミネラルが不足しがちでした。

あと、普通に野菜嫌いでした。味とか食感とか、飲み込もうとすると吐き気がして吐いちゃうんで、

だったら最初から食べない方がいいわなって思ってました。

多分果物アレルギーの延長で、植物系の生ものが嫌だったんだと思います。


今は普通に食べれます。
別に好きじゃないけど。

子どもの成長期に絶対必要な栄養素です。牛乳は女の子たちからもらって、1日3〜5本は飲んでいました。

せめて背は大きくなりたかったから。

でも偏りすぎてました。野菜食わん、果物食わん、肉とか小麦とかそんなんばっか。あと乳製品。

だから体の機能が高くなりにくかった。免疫も働きにくくなる。背も全然大きくなりません。

背の順で腰に手を当てる気持ちは選ばれた1人にしか与えられません。

そうです。背の順で並んだ時、僕は一番先頭に並んでいました。

僕はそれを与えられる側の人間でした。

身長高い女子も男子もうらやましかった。

可愛いなって思う女の子は結構身長高くて、

俺はチビだからかっこよくないしダメだなって戦う前から負けてました。


ほんで、自分が優位に立てそうな小さい女の子と交流するようになって、自分より身長が低い子を好きになったりもしました。

今思うとダサいですねえ笑
好きなだけ、好きなものを好きになればいいのにね。



でも当時の僕ではどうしようもなかったから、テニス上手くなったり、英語勉強しまくってみたり、推理小説とか本を読みまくるようになったりしました。

なんか色んなこと知ってるね、すごいね、みたいに言われたかったんです。

正直、あんまり役立ちはしなかったけど、体調不良に共感することはできたから、優しいやつって思ってもらえることが多かったです。

中学生の女の子からすれば、そんなやつ面白くもないですけどね。

刺激的じゃないし、笑いを取る方でもなかったので、まああんまりモテませんでした。笑

そんな感じの学生生活で、内申点もそんなに高くない僕ですが、高校はテニス頑張りたいと思いました。

だから愛知県で一番ソフトテニスが強い学校に入ろうって思いました。

でもそこは「私立」だった。

僕の家はまじで貧乏だったので私立の高額な学費なんか払えません。

でもどうしてもその学校に入りたかったから、どうしたらいいのか大人たちに聞きました。

「内申点で基本の5教科(国語、算数、理科、社会、英語)でオール4以上あれば、推薦で受験できて、名前書くだけで合格になるし、授業料も免除してあげるよ」

これを知った僕は火がつきました。

今までの僕は内申点が良くてオール2.5くらいなもんで、勉強なんかまともにしたことがなかった。


でもやりたいことのために必死に頑張ろうと思いました。

本気でやれば、やりたいことが全部できる!

そう思い込んで、とにかくやれるだけやってみようって思ったんです。

まあ無理ならしょうがない。でもやる前から諦めるのはダサいから、とりあえずやっちゃえーって感じ。


その勢いで僕は、塾に入れてくれと母に懇願しました。

当時の僕は内申点がオール2とか3とかそんなもんでした。

だから、そこから内申点を倍にするのは至難の業です。

今このままだと全然ダメ、という現状を知ってから僕は「環境」を変えました。


ゲーム→やらない
漫画→読まない
アニメ→見ない

友達→遊ばない
塾→通いまくる
休みの日→勉強に追われる

とにかく内申点を上げるためにできることを全部やったるで!という感じで猪突猛進です。

生活の全てをガラリと変えたんです。

家に帰って準備してすぐに図書館で勉強したり、すぐに塾行ったりしました。

頭いい子たちに勉強教えてくれって言いに行ったりもしました。

勉強大嫌いな僕がそんなこと言うもんだから、みんなめちゃくちゃ驚いてましたね。

失礼な!とか言ってふざけてたけど、恥もへったくれもないです。

俺はやりたいことを叶えるんだ!というただ一心でした。

先生になんでこうなるのかわからんから教えてくださいっていいにいきました。

これはあとから思い出すと「ゴマスリ」に見えるのですが、当時の僕は必死すぎて、本当にわからないから教えてくれって頼みに行ってました。

その結果、内申点はオール4を越え、念願の愛知県で一番ソフトテニスが強い、私立の私立の高校に入学できるようになりました。

学業の特待生になって、授業料が免除になるなどしました。マジで頑張ったなー。当時の僕、偉い!って思います。

今まで通りだったら絶対にうまくいかなかったと思います。

僕はサボりたがりで、ゲームや漫画やアニメなどの娯楽が大好きだったので、強制的にやらないといけない環境を作ったおかげで忘れずに続けることができて、

毎日やることやってたら内申点もらえました。

いろんなことが気になっちゃうタチなので、何かを達成したい、叶えたいって時は環境整えたほうがいいなってこの時にはあまりピンときてなかったけど、

ただ塾に通うことも、生活のスタイルを全部内申点を上げるために変えたことも、

今となっては一番いい環境づくりができていたんだなって思いますね。

高校時代〜雑魚、骨折、痙攣、呼吸困難、うつ傾向、全国大会

めでたく高校には名前を書いて、ちょっと偉い人とお話ししただけで受かりました。

早速入学してからソフトテニス部に行ってみると、練習からめっちゃ声出すし、みんなめちゃくちゃ上手いし、高校3年生ってだいぶデカい子ともあって、何この人たちオーラがやばい!

って感じでめっちゃワクワクしました。

いや、本音を言うとびびってました。俺やっていけるかなっておもってました。

で、案の定ダメでした。

中学校でちょろっと練習頑張ったとはいえ、僕以外はほとんど愛知県で中学生代表に選ばれていたり、全国大会で活躍しちゃうような人たちばかり。

はっきり言って僕は「初心者くん」でした。

あれ?見ない顔だね?テニスやったことある?みたいな。

基礎すらまともにできないと言われまくって、めちゃくちゃ基本を学ばされました。

結構厳しくて、まあ普通にいじめられてました。いじりも受け取り手が泣けるほどになったらそれはもういじめですからね。

でも負けず嫌いだったから、先輩たちの前では泣かなかったし、キレたりもしませんでした。

バカだなこいつらとか思いながらヘラヘラかわしてたので、先輩たちからすれば、僕のそんな態度も気に入らなかったんでしょうね。

さらに手厚い教育(いじめ)を受けるようになっていきました。

小学生に教えてもらうみたいな感じでいつも教えてもらってたんですが、やってることは超高校級です。

全国大会常連の強豪校は
練習も一流です。

でも僕は病弱の
ガリガリチビ太郎です。

体はできてないから
練習にもまともについていけません。


最初は熱中症、過呼吸、全身痙攣、脱水症状、高熱、これら全部が起こる状態で倒れました。また病弱な体を恨むことになります。

ここでぶっ倒れてから、神経系にも影響があったのか後遺症が残って、運動すると酸素の通り道が狭くなっちゃうっていう「アレルギー性気管支炎」になりました。

運動したいのに、「運動したらキミ死ぬよ?」って医者から言われたのを今でも覚えています。具体的には運動するだけで喘息の発作の強いやつが怒っちゃうようになりました。

呼吸って浅くなって、吸えなくなるとめっちゃ苦しいんです。当たり前ですね。


酸素が足りないと人間の体はダメになっていきます。

力が入らないし、動きにくくなるし、思考もどんどんマイナスになって、何もかもがうまくいかないという気持ちになります。


経験あります?
キミこれ以上は死ぬからやめな?
って言われたんですよ。

この時僕はめちゃくちゃショックだったのを覚えています。

でもどうしても自分が始めたことだったから辞めたくなかった。ソフトテニスを辞めるという選択肢を選びたくなかった。

監督とか先輩はめっちゃ厳しいけど、言われたことを素直にやっていったら、確かに上手くなっていたんです。当時の僕の先輩は日本で3番目に上手い人という実績を手に入れていました。

確かにいじめられるのはしんどかった。でも県内最強という実績や、全国でもトップクラスということがわかったからこそ、

先人の知恵とか技術を学ぶことが成功の一番の近道なんだなと思えましたね。

とにかく憧れたし、尊敬したし、自分もそうなりたい、あんなにテニスが上手くなったら楽しいに違いない、その世界に俺もいきたい!って思いました。

一緒にプレーできたら楽しいんだろうな。俺も仲間に入れて欲しいな。そんな感じ。

なんでもそうですが、レベルが高いもの、努力が積み上がってできたもの、時間とかお金とか、何かしらを使って育ててきたものはとても美しく見えます。

絵とかもそう、音楽もそう。趣味だって、プロスポーツだって、料理や子育てだって、経営だって投資だってそうです。

そこに辿り着くまでに積み上げてきたものの量とか時間とか大変さが多いほど、そこにかける情熱とか思いが強いほど、めっちゃかっこいいし、すげえって思えます。

少なくとも僕は、そういった時間や手間をかけてきたことを尊敬します。なのでこだわりの料理とか、洗練された技術とかに僕は感動します。

アーティストや芸術家などもそういう類なんだろうって思えるようになってきたのは、知識が増えてきたからですね。

いいものってわかるようになるためには、知識が必要です。

おもろいとか、いいって思えないのは知識不足だったり、経験不足なんやなって思えるようになれて本当によかったなって思います。



話を戻しますと、

僕の場合はテニスで全国3位になれた先輩を間近でみたことが良い経験でした。毎日どんだけ頑張って練習してるのか見れたから、自分もそうなれるって思えました。

自分よりも詳しい、上手い、強い人から学ぼうとすることは超重要です。

先輩や監督は超ヘタクソな僕に対してとても厳しかったけど、僕は上手くなっている自分を毎日実感できていました。

成長するってめっちゃ楽しいんです。

できないことをできるようになっていくと、それを実感できると、充実感が半端じゃない。

練習中も、練習時間以外も、遠征先でも、大会中でも、合宿中でも、

周りから見たら「あいついじめられてるよな?やばくね?」と言われるような扱いを受けていたけど、



僕はこれ以上いい環境で練習できることはないし、ここでやめたらこれまでの努力が無駄になってしまうと思ってヤメることはしませんでした。

上手くなりたかったから。
もっとテニス楽しくやりたかったから。

とにかく自分の叶えたいことのために、一番いい環境を使い倒そうと必死でした。


なんとか練習についていくために、呼吸を維持できるように吸入器という呼吸がしやすくなる薬も使いながら、いじめに耐えながら過ごしていたある日、

また体が壊れます。

今度は歩けなくなりました。

膝が骨折してしまったんです。

正確にはオスグットシュラッター病というものでした。これは成長痛で、筋肉の急激な発達に骨の成長がついてこれず、骨が引っ張られて裂けちゃうという症状でした。

お察しの通り、練習頑張りすぎて体はボロボロだったんですね。

しかもストレッチとか、準備運動とかは結構適当にやっていました。そりゃダメだよねって過ごし方してたんで、案の定怪我したわけです。

とにかく早く練習したくて、上手くなりたくて、同世代も先輩もギャフンと言わせてやるんだって負けず嫌いが発動してました。




これは脱線ですが、僕は高校時代の授業中に起きていた記憶がほぼありません。

朝練やって、授業後練習があって、終わったらナイター設備があったので1人で練習を続けて、テニスコートの片付けも1人でやって、鍵閉めたり電気消して帰ってました。

週7日ずっとテニスのことだけやってました。だから疲れてたんでしょうね。授業は起きてられることの方が珍しかったです。

ソフトテニス部は授業をよく免除になっていました。公欠ってやつです。休んでも欠席扱いしませんよーというやつです。

とにかく厳しい部活で、遠征とか合宿で県外に行くことが多かった。

岩手、東京、長野、静岡、岐阜、三重、大阪、奈良、和歌山、岡山、香川、佐賀、福岡、この辺りはいきました。

観光は0です。ソフトテニスの練習、大会、合宿のためにいきました。


そんなスケジュールだったから授業中に寝ていても「ソフトテニス部はしょうがない」と思われていて、僕はうまいこと赤点だけは取らなかったから、先生たちから怒られることはありませんでした。

毎日ほんとに最後までずっと練習してたんです。

僕が部内で一番下手で、バカにされてきたけど、どうしても上手くなりたかった。それが唯一見返してやる手段だと思ったから、逃げようなんて一回も思ったことはありませんでした。

そうやって無理してたら膝が壊れました。結論から言うと3ヶ月以上歩けませんでした。

高校生の3ヶ月って、めちゃくちゃ大事です。高校生活で部活ができるのは2年半です。つまりだいたい30ヶ月ですね。

そのうちみんなと3ヶ月も差がつくわけです。しかも一番の下手くそなのに、です。

この時はもっと凹みました。毎日悲劇の主人公。目がパンパンに腫れて、痛くなるくらい泣きました。

膝も痛いし、練習ついていけないから同世代にも置いていかれるし、この頃は結構自暴自棄になっていたんですが、

その当時、尊敬してた3年生の先輩の1人が怪我をしました。僕と一緒にリハビリ組の仲間入りです。そこで僕は気をつかってはなさないようにしていました。


でも先輩が声をかけてくれたんです。

「焦るよなあ。でも俺らは、あいつらにはできない練習が死ぬほどできてラッキーだな」って言われました。

その時僕は「この人、すごすぎんか?」って思いました。先輩だって怪我してしんどいはずです。

しかも先輩が怪我をしたのは引退がかかっている大会のちょっと前でした。怪我が回復した後に練習がまともにできる期間は少ないと予想されていました。

絶対に焦ってるだろうし、自分のことを攻めてもおかしくないのに、この先輩は諦めるどころか他の仲間たちよりも上手くなれるって言い出したんです。

僕は「先輩と一緒に上手くなりたいので色々教えてもらってもいいですか?」と言いました。

もちろんいいよって言ってくれて、一緒にリハビリメニューを頑張ったのはめっちゃいい思い出です。

いじめられてもやめないで済んでいたのは、そういった声かけをしてくれる人が一部いたからでした。

どんなに苦痛だと感じていても、見方によってはプラスに働くこともあるし、力になったりもするんですよね。



僕の師匠に教えていただいた「かくかくしかじか」という漫画は師弟関係を描いている素晴らしい作品で、めっちゃ大好きな漫画なんですが、

師匠から辛いことをとにかくやらされた主人公が「これは意地悪だ!」みたいに言ってる一方で、

何年も先の主人公が、あの時こうやって言ってくれたから今の私は有名な漫画家になれた、という感想を話しているシーンがあって、めちゃくちゃ共感しました。



僕は女性監督と男性のコーチから、殴られる、蹴られる、みたいな体罰も普通にあったし、そりゃあもう死ぬほど叱られたこともあったのですが、

最後、引退する時にはめちゃくちゃ感謝してお礼を直接言いにいったし、今でもあの時やり切ってよかったと思っています。

僕は、先輩から頂いた言葉をきっかけに、物事の見方を変えたら、悪いことはむしろめっちゃいいことにも変えられるんだって学びました。

マイナスなことばっか言ってたら地獄が広がるだけだけど、

プラスに変えていくから成長できて、テニスでも活躍できるんだなーって15歳で思えたのはマジでいい経験でしたね。

この世のあらゆることは前向きに捉えて成長に繋げられる、ということを学べて本当に良かった。

例えば今回の僕の骨折の原因は

・練習前の準備運動不足
・練習中の疲労回復不足
・練習中の栄養不足
・練習後の整理体操不足
・筋肉の柔軟性不足
・体力不足
・バランス不足
・効率の悪い練習量

っこういった要素があったわけです。

この要素たちっていうのは、僕の「伸び代」ですよね。

僕に起きた3ヶ月以上の練習ができない、成長できない期間はこの「伸び代」を自覚できるチャンスだったんです。

実際、ここでみんなの練習を見れたことも良かったことでした。自分のことで精一杯で、全然周りが見えてなかった。

一度ゆっくり休みながら、自分の体と心に向き合って、やれることを一つずつやっていく。

そうやっていったら、テニスしてないのに僕の体はテニスが上手くできる体にサクサクっと変わっていきました。

まず体力がつきました。筋トレと食事で痛くないところの筋力と体力を増やそうとしたんです。

体力があるから練習していても、身につくのが段違いで早くなりました。

上手い仲間たちの動きを真似たり、いいイメージがあったおかげで自分の体をもっと楽に動かせるようになりました。

迷いが一気になくなったんです。

俺にはこれが足りない。もっとこうしていけばいいんだって、一緒にリハビリをした先輩とも話して学んだし、休んでいる間は監督にも質問し放題だったので聞きまくったんです。


そんな感じで、一流の知識が常に身近にあることで、僕のテニスの見え方がどんどん進化していくことを実感しました。

「あいつ、次あそこに打つな」
「あ、これ狙ってるんやろな」
「ここ直したら上手くなるな」

こういった思考がどんどん生まれるようになりました。


僕以外が時間をかけて身につけていったものを、一気に習得していったんです。知ってる人から聞くってこんなに違うんやなって驚きました。

努力の方向性を正しいものにするために、自分だけで考えたり、無理な工夫をしていたのは無駄ではないけど間違いでした。

上手く行ってる方法を知ってる、実際に使えてる人から学んだ方がそりゃ早いわけです。

高校受験も塾に通ったらマジで楽勝になりました。
監督に聞けば、自分で掴めなかったコツが5秒でわかりました。
先輩に聞いたら、勝てる人の考え方がわかるようになりました。

そりゃうまくいくに決まってますよね。

同級生たちはそんなことを細かく教えてもらうことはしてませんでした。

だから怪我から復帰した後の僕は一気に成長していきました。

2年生に上がり、3年生が引退する頃、僕は一番上手な部員が使うテニスコートで練習をするようになっていました。

そのままさらに上手くなりやすい行動をしていった結果、チームの大事な試合で監督から「相手の一番強い選手と戦って倒してこい!」と任される存在にもなりました。

結果、全国大会に3度出場しました。初めは部内でいちばん下手くそだったところからの下剋上です。


正直、死ぬほど気持ちよかったです。笑

流石に全国大会出場を決めた時はめちゃくちゃ泣きました。

今までいじめてきた人も含めて「よくやった。お前はすごいよ」って褒めてくれたんです。そりゃ泣きますよね。あの時はほんと、嬉しかったなあ。

今でも思い出すだけで救われる瞬間です。


上手くいくまでやれば上手くいく。ということも実体験で理解できて本当に良かったですね。

世の中には挑戦しないで半端に辞めちゃう人が結構いるんですが、マジでもったいないです。



上手くいくまでやるってきめてやってたら、失敗なんかないです。

上手くいかないことも成長の一部、材料なだけ。

そんな思考を持てるから、上手くいくんですよね。僕は結果、テニスで全国トップレベルの世界を経験することができました。

これを失敗という人もいますが、僕は全国大会出場という世界は異世界だと思っていたんで、普通に叶えられるよって思えるようになったことは、僕のできるかどうかという判断基準を大幅に引き上げてくれる経験となりました。



あの当時がしんどすぎたから、
大抵のしんどいことは

「まあこんくらいなら死なねえし大丈夫だ」

って思えるようになりました。


大変な思いをしておくことは、人生の難易度を大幅に下げてくれるので、めっちゃいいなって思います。


えらい大人とかが、苦労は買ってでもしろ!という理由がよーくわかる。

人生を楽にするからなんですよね。

どうでもいいことでへこたれなくなる。そりゃ強いよね。人として。って話。

そんな感じでとにかくソフトテニスに青春を捧げてきました。

その過程で病気にもなり、怪我もして、その経験から人を頼ることを学んで、誰よりも成長できるようになれるという経験をしました。

怪我も病気もそりゃ大変だったし、いじめに耐え抜いた3年間だったけど、僕はこの時周りにいた全員に感謝の気持ちでいっぱいです。

人って逆境であればあるほど成長するらしいです。

バネってありますよね。押し込むほど跳ね返ってくるやつです。

思いっきり押し込んでから一気に離すと、バネはめちゃくちゃ跳ね返ってきます。

それと同じで、今の現状がしんどいとか辛いとか、大変であればあるほど、ちょっとしたきっかけとか、思いっきり跳ね返ることができる知識や経験を手に入れると、

本当に一気に体が良くなったりするんですよ。

僕が3ヶ月歩けなかった時なんて、本当は1ヶ月ちょっとで戻るからって言われてました。

通院しつづけて、痛み止め飲んで、松葉杖で1ミリも地面に体重をかけることができなかった。

何十回も通院しても全然良くならなくて、リハビリメニューも教えてもらいまくったけどまじでよくならなかったから、

僕はその当時愛知県で有名な人に何度も聞いたんです。

「俺、どうやったら早く治りますか?」って。

そしたらみんな教えてくれました。何十件も聞いてみた結果、同じこと言ってるのはこれだなってのを学んだんです。

じゃあそれやってれば早いかもねって思って、2ヶ月間治らなかった膝が、聞き込みしまくった後に始めた対策をやっていったら、マジで3週間くらいで楽になっちゃいました。

今までの苦労はなんだったの?って感じです。

この経験があるから、僕は今悩んでいる人はまじで諦めないで解決策を探したほうがいいって思います。

痛みを減らすのって何歳からでもできますからね。

実際に94歳の膝痛持ちが、2時間以上も伊勢神宮を往復で歩いたというとんでもない話もありますので、また別のところで話しますが、

いつ始めても遅いということはないし、絶対に何もしないよりはいいです。

ちなみにこの方がやったのは一回3分程度のセルフケア(自分で痛みを減らす行動)だけでした。ほんと、知ってしまえばお得だなーって思いますね。

知識がないと治療費も通院時間も無限に浪費することになります。もったいないですよね。

ちなみに通院時代に僕がやっていた間違った治療法は「なるべく安静」でした。

これマジで治らなかった。

でもすぐに治った時にやったのは「痛みが減らせるセルフケア」でした。

これが最強だった。これも治療家を目指そうと思ったきっかけの一つですね。

ここまでが高校生の時の話。いろいろあったと思うけど、痛み改善に必要なことがいっぱい詰まった3年間だったので、もし痛み改善に役立つ情報だったと思えなかったらぜひ読み返してください。

体を良くするためのヒントが大量にあります。

というか、痛みが楽になれるコツを話しまくっているので何回も読んで欲しいです。読んだら感想もください。

ここからは引退後の僕について話します。

部活引退〜大学と就活やめる。世界を広げようと思った。

最後のインターハイが終わって、はいじゃあ明日からキミは受験生です、って状態になった時、僕は骨折してました。

実はインターハイの試合中に転倒して左手首を折ってしまったんです。また怪我かよwって僕も思ってました。まあでもしゃあないですね。

なので引退後も痛みを抱えたまま、次は大学以降のことを考えました。

ここで僕が真っ先に想像したのは、中京大学でソフトテニスを続け、大学の教員資格も取得し、そのまま体育の先生にでもなって働くか、ということでした。

スポーツで有名な大学だったし、スポーツメーカーでも働けそうだしなって思ってました。

別に何か熱意があったからではありません。ソフトテニス強いとこ行こっかな〜くらいの気持ちの延長に、ちゃんとした仕事にもつけるかな、くらいの軽い気持ちでした。

で、実際その流れで進んでいくために、ソフトテニスの特待生として合格できるように受験もしました。

実際、愛知県の中でもソフトテニスが強かった中京大学にはいけるかなって感じでした。でも実際に試験会場に行ったり、中京大学のキャンパスを見たり、大学に行った後の進路について調べていたら、僕の考えは変わってきました。

「俺、このままじゃ遊んでテニスして、楽しいだけの大学生やって、奨学金も借りないといけないから、借金だらけで社会人になる気がするな。大学行く意味ってあんのか?」

こんなかんじ。周りの大人は大学には行っとけって言いました。でも行かなくてもいい気がしていました。

うちは結構貧乏だったんです。

妹も2人いるのですが、僕が大学に行ったら親に結構な負担がかかります。

もちろん奨学金も借りますが、遊びのために借金して、増えるのは友達と遊び方を経験できるくらいか、って思ったんですね。それもったいなくね?って。

だから大学は、他の大学も考えたりしたけどやめました。

じゃあ就職すんのか、ていうとそれもやめました。

実際は就活が面倒だったんですよね。とりあえずバイトしようと思ったら働けるところはいくらでもあるし、高校で頑張って燃え尽きてたんで、このまま頑張って就職するのもやめちゃいました。

それはもう心配されましたね。

で、どうなったのかというと、何も決まらないまま卒業しました。他のみんなは大学に行くとか、いろんなことが決まっていたのですが、僕は決まらないままでした。

高校を出て、みんなが大学に通い始めた頃、僕はアルバイトを始めていました。

当時やったのは吉野家の深夜バイトと、スポーツデポというスポーツ店の店員でした。大体月30万円ちかく稼ぎました。

そのお金は使うことは考えてなくて、とりあえずやりたいこと見つかったら、そこに使うために貯めとこかな〜みたいな気持ちで働きました。

寝ずに働いて、とにかく一生懸命金を稼ぎました。

そのお金で自動車学校にも通って、車の免許をとって、アテンザというマツダ社の車を中古で譲り受けて乗ってました。

今思えばいい車でしたね。割と好きでした。

車のおかげで、女の子と仲良くなりやすかったし、お金も稼ぎやすいと思いました。

当時はガソリンもそんなに高くなかったのと、交通費でガソリン代もらえてたので、ほぼ無料で超便利な移動ツール手に入ったわーって感じ。

出ていくお金も少なくなって、車を持つことはもはや節約でした。しかもモテる。若い時に車の免許をすぐに取得するのは超いいなって思います。

で、大体10ヶ月くらい働いたあるとき、仕事の関係で東京に行く用事があったので行ったんですね。

で、せっかく東京に行くからって色々調べてみたら、東京にはテニスのコーチを目指すための専門学校というものがあることを知りました。

しかもその専門学校のテニスコーチ科には、ソフトテニス界では超有名な、元日本一のソフトテニス選手が監督をやってるって書いてあったんです。

ソフトテニスは趣味でずっとやってましたし、せっかく東京に行くんだから挨拶しに行こうかなって思いました。

別に知り合いでもなんでもありません。とりあえず面白そうだからいこーって感じです。

僕はこれまで、やらなかったことで後悔はいっぱいしてきたけど、やってみて後悔したことって全然なかったんですよね。

新しい世界とか、まだ知らないことを知りに行くと知ってよかったと思えることの方が多いし、東京に行く機会ができて、しかも見学できますよってHPに書いてあったんです。

これはもう行くしかないなと。
あとは興味本位でもあります。元日本一のソフトテニスプレイヤー、見たいなーって興味。

で、実際に行ってみたら、元日本一の人が監督を普通にやってました。強い選手は見まくって勉強してたので、本物だーってかんじ。

会場で「見学に来ました〜」って声をかけに行ったら、練習に参加してみるかーって言われました。

で、実際に練習してみたら、「キミいいじゃん。うちの学校入っちゃいなよ」って言われました。(本当にこう言われたので、ジャニーさんかな?とか思いましたね。笑)

そこで僕は悩むこともなく入学を決めました。

ソフトテニスで食っていけるチャンスだと思ったんです。やりたいこともなかったけど、コーチになったら好きなことを続けられるし、一石二鳥じゃんって思ったんですね。

で、翌年からソフトテニスとテニスのコーチになるための学科に名前を書くだけで入学しました。専門学校はお金があれば行けるって学べましたね。

そっから人生初の東京暮らしも始まって、僕はソフトテニスが上手くなるために頑張りながら、ソフトテニスで食っていけるようになるための行動をし始めました。

東京進出〜五輪トレーナーの力を実感、習得、実践

ある時、東京に引っ越して、テニスコーチの勉強を進める一環で、希望者にはトレーニング指導を受けるチャンスをもらえることになりました。

しかもレベルがめっちゃ高いトレーニングです。

わかりやすく言うと、オリンピックに出るような人たちがウケているトレーニングですね。

しかもさらにやばいのが、僕が受けられるようになったトレーニングは、日本人でいちばん実績を残した「錦織圭選手」の所属する『IMGアカデミー』というテニス専門のサポート機関が提唱している、

『IMGメソッド』という錦織圭さんも実際にやっているトレーニングでした。

初めに聞いた時はすごいものだということしかわからなかったけど、とりあえずやってみないとわからんしなと思って、トレーニングを受けてみました。

僕が思うトレーニングって、ボディビルダーさんのようにめっちゃ重いものを持って「フン!」って感じで持ち上げまくったり、身体中ムキムキになるようなイメージだったんですけど、

むしろ重りを使わない種目の方が多かったんです。

僕らが運動するときに必要なトレーニングって重いものを持ち上げて、筋力を増やすことだけじゃないんですよね。

・バランス
・速さ
・丁寧さ
・滑らかな動き
・瞬発力
・耐える力
・切り返す力
・長く使う力
・連続して使う力
・いろんな角度で使う力
などなど

めちゃくちゃ色んな使い方があって、その中でもテニスに合うもの、サッカーに合うものってプログラムが全く違ってきます。

どこをどう動かせるようになりたいのか、という「目的」に合わせて「対策」を選んで使うんですよね。この考え方は今でも大事にしています。完治するために必須の考え方です。

例えばテニスの人だったら短い範囲で切り返し走り回って、急に止まって全身運動、という動きを何度も何度も、それこそ長い時は6時間とか試合することもあります。

その一方でサッカーの場合だったら、走って止まって、蹴る、といった力が必要で、基本的には上半身はバランス調整やコントロールのために使います。

テニスとは全く違う使い方をするし、競技によって鍛え方が違うのは当たり前なんですよね。

これって僕らの日常生活でも全く変わってきます。

デスクワーカーと、大工のような力仕事の人が同じようなストレッチやマッサージを受けて、いい状態を保てるわけがないんですよね。

疲れ方が全く違いますもん。そりゃ同じことやってたらダメなんです。

だからネット上やSNSにある「腰痛に効く〜」とか「肩こりはこれだけやってればOK」みたいなやつって、確かにちょっと楽になったりするけど、

なんかいまいち効果残らんな〜みたいなことになるんです。

本当に体を楽にしたいなら自分の体調や仕事環境、性格や性別、やりたいことに合うものを選ばないといけません。

僕はそんなこと一度も考えたことがありませんでした。

とにかくたくさん走れば体力がついて、たくさん試合しても疲れにくくなれるんだと思ってました。

でも実際は、
・素振りする体力
・急に走り出す体力
・全力で走った後止まる体力
・ボールを打つ体力
・姿勢を保つ体力
といった

たくさんの体力が必要で、それぞれに合うトレーニングがありました。

これを聞いて、途方もない、とあなたは思うかもしれませんが、僕は真逆の考えをしていました。

「え、てことは自分がなりたい体になるための方法が存在するってこと?それめっちゃ面白くない?」と思いました。

例えばあなたがデスクワーカーなら、仕事中に腰とか肩とか首が痛くならないようになるためのトレーニングやセルフケアがあります。

看護師さんのように動き回る仕事なら、患者さんを手伝ったり、介助したりするたびにかかる体の負担で、足腰を痛めたり、時にはぎっくり腰になることもありますが、それを予防するためのセルフケアもあれば、痛みと無縁の生活をこなせるようになるトレーニングもあるわけです。

僕はワクワクしました。だって、僕が受けるのは日本人で過去最高の実績を残している錦織圭さんと同じトレーニングです。

テニスが上手くなるためにいちばん効果的だと証明されているトレーニングを受けられるということです。今の僕にとって最高のトレーニングでした。

それから僕は練習後にトレーニングをするようになりました。

片足立ちでいろんな姿勢を取ったり、足を大きく横に開いて体を捻ったり、クマのように四足歩行で走ったりしました。

やってて楽しいなって思えたのは、これが何に効果があるのかわかるからでした。

考えてみて欲しいんですけど、あなたが意味もない作業をずっとやり続けろって言われたら絶対やめたくなるし、疲れるし、嫌になるじゃないですか。

でも僕の受けたトレーニングは、実際にその動きがだんだん良くなっていくのを実感できました。だから単純に楽しかったんですよね。辛いとか全然なかった。



ただ辛いだけじゃなくて、科学的に体が使いやすくなる方法を教えてもらえるんです。きつくても自分からどんどんやりたいって思えるようになってました。



そうやってトレーニングをして、体使いやすくしまくってたらある時、

なんかボールを強く打てるようになってきたし、ミスしにくくなったし、疲れにくくもなっていきました。むしろトレーニングすればするほど体は快適に使えるようになっていきました。

そしたら練習が捗るし、試合もたくさんできるから実践経験が増えますよね。その結果、試合でも勝てるようになっていきました。

トレーニングをすればするほど、テニスをがむしゃらにやり続けるよりも早く上手くなっていきました。

僕は不思議だなあ、でもめっちゃおもしろいなあって思いました。

体をいい状態にしていくと自信も増えました。なんか上手く打てる気がしてくるんです。


これは後から学ぶんですが、精神科のお医者さんに聞いたところ、自分の体の感覚に意識を集中するようにして体が使いやすくなると、精神も良い状態に整ってくるんだそうです。

心がしんどいと体は機能しにくくなる
その反対に体がダメな時は心も弱くなる。

これを逆に考えると
・心が整ってくると体は良くなっていく。
・体が整ってくると心も良くなっていく。

ってことなんですけど、僕の場合はこの両方を手に入れていったんですよね。

・上手くいってる感じをどんどん手に入れて楽しいし、実際に体がめっちゃよく動くようになった。

・テニスしやすい体を手に入れてメンタルが安定していったから試合中とかもどんどん積極的にプレーできて、さらに上手くなって勝てるようになっていった。

本当にいいことづくめでした。

やったことはテニスに合う体の使い方を育てていっただけ。やればやるほど良い状態になっていきました。

この時から、体を良くするのって面白いなーって思うようになったし、もっと学んでいきたいって思っていましたね。

暇さえあれば新宿の紀伊國屋で医学書を読み漁って、有名なトレーナーさんたちのYoutubeとか見まくって、海外の論文とかも調べたりして。

で、学んだことを身内に試していったら、めっちゃ喜んでもらえました。

それが嬉しくてどんどんやるようになって、この頃から「あれ?テニスコーチよりも体良くする方が自分に向いてる気がしてきたな」って思い始めました。

アスレティックトレーナー編〜オリンピック、一流たちの世界、プロの世界、痛みとの向き合い方

テニスコーチを学びながら、トレーニング受けるたびに、トレーナーという仕事の素晴らしさを痛感していきました。

ただ鍛えるだけではないんです。

生涯健康で、歩き続けるための鍛え方もある。

怪我したところから、一般人が当たり前に過ごしている日常を取り戻すための鍛え方もある。

もっとやりたいことがやりたいようにできる体に変わるための鍛え方もある。

寝たきり状態だった人が歩けるようになったり、大怪我して引退しないといけないと言われていた人が現役復帰してオリンピックで活躍したり、元々うまかったスポーツ選手が大活躍できるような体に整えられたりするのがトレーナーの仕事なんです。

表舞台に出てくることはない、裏方ではありますが、体を整えることがどれだけ大事なことなのか、自分でも体感していったし、周りの人たちの体の変化を見ても実感していきました。

そうして知識と、経験と、技術を積み重ねていった結果。

僕はテニスコーチを辞めて、アスレティックトレーナーの道を目指すことにします。

運がいいことに、同じ専門学校の学科を変えるだけでよかったんです。

いざ転科してみたら、トレーナーの学科にはオリンピック関連で、業界でもトップクラスの現場で活躍してるかたが7名以上いました。これは運が良すぎましたね。

トレーナーだけじゃありません。学んでいく過程で、トッププロ選手とも関わりが増えたり、日本代表をサポートする医者や理学療法士、医療界隈の重鎮のような方々とも関わりが増え、

その方々が講義をするたびに僕の知識と技術と経験は増えていきました。


普通にオリンピック関係者がわんさか教えにきてくれる環境でした。そんなこと普通はありえないんですが、この環境を使おうって決めて転科して本当に良かった。

僕はずーっと、より良くなるためにいい環境を使い倒そうとしてきました。その結果、今では通わせずに、施術ゼロでも痛みを減らせる治療家になれたので、過去の自分にめっちゃ感謝していますね。

この過程で最も大事だと学んだことは「目的に合わせていかないとね」でした。

これ、関わってきたすごいと言われる人全員が口を揃えていってたんです。

何かあると「それ、何のためにやってるの?」と聞かれました。

「なんでそれをやろうと思ったの?」と何度も聞かれました。

今まで理由を求められることってそんなに多くなかったんです。そういうものなんやって思うことで終わらせてきたように思います。でもそれではトレーナーはやっていけません。

何でこんなに効果とか目的を大事にされてきたのかというと、体に関わることだからだと思います。

トレーニングって、相性の悪いものを選べば、体を壊すことも簡単です。

硬いところをさらに使いやすくしていけば、筋肉が損傷しやすくなって怪我につながる状態に持っていくことだってできちゃいます。

だからあまり知識なく無理なリハビリとかトレーニングをやるとむしろ悪化します。治せてない人が頑張って体動かしてるのに治らないのって、そういうのが多いですね。

痛いのに歩きまくるとか、痛みを我慢して運動するとかってマジで悪化するから控えたほうがいいなって思います。

でもその逆に、硬いところは緩めたり、使えていないところを使いやすくしていけば、怪我がなくなるだけじゃなくて、競技能力が高くなって、もっと活躍できるようにもなるんです。

だから、何でそれをやるのか、という理由がとっても大事です。

どんなトレーニングをいつ、誰の何のためにやってあげるのか。その選択が、選手の未来を左右しますからね。相手を見て、何を提供すべきなのか、めちゃくちゃ考えるようになりました。

そうやって考えまくって、この時はこれやらない方がいいよね、だってこうだからね、って説明ができるようになっていきました。

反対に、こういう時はこれやった方がいいよねって話もできるようになっていきました。

ストレッチやマッサージの考え方も変わり、本当に優秀なトレーナーは治療もこなせるようになっていくんだなってことも学びました。

だから僕は治療の方も学び始めました。痛いのが嫌だったから、痛みを減らすためのコツとか、痛い状態からどうすれば早く復帰できるのかを考えまくりました。

その結果、痛みをまず減らすことが重要だと知りました。ここから僕の苦労は始まります。

開業編〜知人の整体やトレーニング、ストレッチやマッサージを始め頼られるようになる

トレーナーの勉強を進めるほどに、治療の重要性や必要性を感じるようになっていきました。

アスレティックトレーナーという資格も何とか取得して、オリンピック関連の仕事もできるようになったのですが、

体のことに詳しくなればなるほど、痛みを減らす技術と知識が必要だと思えてきました。

動きやすい体を作ろうと思っても、痛みが出てしまう人が多かったのです。

あなたも硬いところを伸ばしていったら痛みが出てくるなんて経験がありますよね?

もし経験がなければ今すぐ開脚をしてみてください。バンザイしてみてください。長座体前屈をしてみてください。ブリッジをしてみてください。

これらの動きが痛くてできない人は体を壊しやすい状態と言えるのですが、多くの方ができないはずです。

できない人は、これまでに体を良くするケアが足りなかっただけなので、これからやればいいです。だから心配はしないでください。

この例からもわかるように、この文章を読んでいる多くの人は体のメンテナンスに使う時間が圧倒的に足りません。

日々忙しいのもわかります。ですが、セルフケアなんて1秒からでもできるんです。それをやらないのは、やる必要性を本当の意味で感じていなかったり、快適な体で過ごすとどれだけ気持ちいいのか忘れてしまっているからです。


僕はそれを思い出して欲しいのです。快適な体を手に入れさえすれば、マジで何でもできます。楽しいことも、嬉しいことも、幸せだと思えることもやり放題です。

・旅行
・外食
・スポーツ
・子どもと遊ぶ
・買い物
・趣味
・家事
・育児
・読書
・散歩

何でもし放題です。

その第一歩として超おすすめなのが、ストレッチでした。誰でもできますからね。素人でも余裕です。

だから初歩として、ストレッチとマッサージだけでもまずは極めようと思って勉強を始めました。

ただ相手の筋肉を伸ばすだけでなく、しっかりほぐして体をより使いやすくしたり、疲労を除去したり、もっと活躍できる体に整える手伝いをし始めました。


さっきも言ったとおり、自分の体をメンテナンスしてる人は少なすぎるんです。だから僕のケアを受けたり、セルフケアを学ぶと、99%の人が楽になって、快適な体に変わります。

僕も嬉しくなってどんどん施術が上手くなるので、さらに喜んでもらえるようになっていきました。

そんなことをやっていると、僕の同業者以外の友人から、ちょっと練習台になるからやってよなんて言われるようになりました。

僕も練習できるからありがたいと思ってやっていくと、めちゃくちゃ体軽くなってすごい!と言われるようになりました。

僕が学んできたことは、僕の周りにいい影響を与えるレベルになってきたと実感し始めました。

そんな感じで色んな人にケアを試していったある日、いろんな経営者さんを紹介していただける機会をもらえました。

「君さ、ストレッチとかマッサージ上手いらしいよね。お金払うからさ、ちょっとやってくれない?」と頼まれるようになっていきました。

アスリートではなく、一般人向けの整体を頼まれたんです。

僕は一瞬どうしようかと思ったのですが、一般人向けにも応用できるくらいには勉強していたので、その場ですぐに「任せてください」と言えました。

そこから僕は頼まれるたびに休み返上で企業に出向いていったり、ある業界の偉い人の自宅に行くことになったりして、ストレッチをしたり、マッサージを活かしていくことになります。

やっていくたびにいろんな職業の方をケアする機会をもらいました。全て口コミだけの紹介で広がっていきました。

モデル、医者、投資家、看護師、薬剤師、サラリーマン、運転手、肉屋さんの店主、保育士、専業主婦、子育て中のお母さん、デスクワーカー、長距離運転手の方、税理士、弁護士、秘書、企業の社長や役員さん、テレビ関係、プロスポーツ選手、トレーナー、鍼灸師、などなど

体の専門家に見てもらいたいという方がたくさんいて、僕は希望に合わせて施術を変えることができたので、毎回喜んでもらえました。

ただ、限界も感じていました。トレーナーとして整体師として関わっていくだけだと限界がありました。治療のノウハウを我流で集めてもいいけど、時間もお金もかかりすぎました。

だから僕はここで貯めたお金や時間を鍼灸師になるために使おうと決めました。

なぜここで鍼灸師なのかについても話します。

鍼灸師編〜治療院、ゴルフ、出張整体、企業マッサージ、芸能界

ここでは僕が鍼灸師を選んで、めちゃくちゃ良かったなあと思っていることを話していきますね。

鍼灸師の治療法は、東洋医学というものが基礎となっています。

この東洋医学という考え方は、痛いところがあったら、その周りも悪影響があるんじゃないかって考えるもので、

その反対の西洋医学は、痛いところがあったら、その痛いところはどうなってるんだ?って考えるものです。

僕は西洋医学の治療院や病院の施術を受けまくっても痛みがあまり改善しなかったという経験があったから東洋医学も学べて、鍼治療もできるようになるなら一石二鳥じゃんって思いました。

また、東洋医学は医師でなくても、内科的な部分に良い影響を与える方法が学べる学問でもありました。

僕の母はほぼ白血病、祖母は糖尿病から関連する不調の塊、妹は重度のアレルギー持ち、僕自身も風邪をひきやすかったり、すぐにお腹が痛くなったりしたので、

内科的な部分にも鍼灸は効くんだよって話を聞いて、絶対にこっちを学んだほうがいいって思えました。

お灸の効果ってめっちゃすごくて、逆子が治ったりもします。

逆子というのは、赤ちゃんの頭が胃の方にある状態のことを言います。頭が下にある状態が正常な位置なので、逆になってる子ということで「逆子」です。

妊娠中に逆子が治らないとお子さまが死産になってしまうこともあるので、そういう場合は現代は帝王切開を選びますが、逆子が治ってしまえばお腹を切る必要はありません。

普通分娩をするために必要な処理を、お灸をすることによって「下の方があったかいから、こっち向こうかな〜」って赤ちゃんが頭を下に向けてくれるようになるんです。

これすごいな〜って思ったんですね。

他にも鍼灸の効果っていろいろありまして。

例えば麻酔がなかった時代には、針を打つことで麻酔と同じくらいの反応を起こして、実際に切開手術を行なっていたという事例もあります。

麻酔を打たないで、針を打っているだけで、人間のお腹を開いて手術できたっていうんだから驚きですよね。

もっというと

・呼吸がスーッと楽になった
・胃のムカムカが消えていった
・寝つきが良くなって寝不足解消
・食欲が出てきて元気になった
・便通が整って、痛みや不快感がなくなる
・高熱が下がって体が軽くなる
・躁鬱(そううつ)症状が激減して社会復帰できた

こんなことが実際に鍼灸治療を受けた人に起きているんです。


最初は僕も信じてませんでしたよ。体の外に刺激を入れるだけで、中まで効果が得られるなんて不思議すぎますもんね。

でも思い返してみると、外で起きたことが中に影響を起こしたり、中で起きていることが外に影響を起こしている経験は何度もしていました。

外で起きたことが中に影響を起こした例
・体が冷えて、お腹が痛くなった
・痛みを感じると、心臓がドキドキ早くなった
・食後にうんちを出したくなる
・体を丸めると安心する
・胸を張ると前向きな気持ちになる
・体をほぐすと呼吸がしやすくなる

中で起きたことが外に影響を起こした例
・胃が荒れると口内炎ができてめちゃ痛い
・大腸が荒れると肌荒れがめっちゃ起こる
・塩辛いもの食べすぎたり水分不足になると腰痛になる
・肝臓に負担がかかると右肩が凝る
・脂っこいものばっか食べると
・大きく息を吐くと筋肉が緩む
・呼吸が浅いと全身に力が入ってしまう

こういった経験がたくさんあったし、見聞きしていたからこそ、これらを鍼灸で緩和できたり、改善できるということを知って、鍼灸以外を選ぶという選択肢はありませんでした。

ちなみにちゃんと他の治療系もみました。簡単にいうとこんな感じです。

医者(この業界の神様)
・患者さんを診察、治療する人のこと。診察によって患者の容態、問診、検査データなどから病名と病状を確定させ、そこに投薬や手術といった病状を改善させるための治療を行う。

看護師(いちばん大変な仕事かも)
・医師の診察に合わせ、診療や治療の補助を行う。病気や怪我などで不自由な生活を送る患者さんに対して、看護を提供する。医者の働きをサポートしつつ、患者さんの「健康で幸福に生活したい」という意思に応えるため、生活の力添えをしたり、心のケアといった「人を看る(看護)」仕事。

薬剤師(薬のスペシャリスト)
・薬に関する幅広い業務を通じて、人々の健康を支える人。薬を扱えるようになる。お医者さんが処方箋を間違えることもあるから修正や確認をしてくれたり、患者さんが薬の使い方を間違えたりもするから正しい使い方を教えてくれる人でもある。

理学療法士の仕事(基本病院のリハビリ系のところにいる人)
・病気や事故などにより、体の障害や不自由を抱えた人や、体の機能が低下した「高齢者」などに対してリハビリテーションを行い、回復をサポートする仕事。運動療法(運動してもらう)や物理療法(電気などを当てる)を使って行う。

作業療法士の仕事(基本病院のリハビリ系のところにいる人)
・基本的な動作や能力、運動や感覚、知覚、心配や精神・認知機能などの心身機能の向上を目指してサポートする仕事。症状に合わせて、心と体の基本的な機能改善を目的としている。

柔道整復師の仕事(接骨院とか整体とかにいる人)
・ねんざや打撲、骨折、脱臼などの怪我の改善をサポートする仕事。包帯固定やテーピング、ストレッチやトレーニングなどのリハビリ、薬を使わずに患者さんの治癒力を最大に導く

鍼灸あん摩マッサージ指圧師(鍼師、灸師、あん摩マッサージ指圧師の3つの国家資格)
・鍼やお灸を使って、筋肉やつぼ、皮膚などの体に刺激を入れ、治療を行う専門職のこと。マッサージも通常はこのあん摩マッサージ指圧師じゃないと認められていない。東洋医学の代表的な治療法。
肩こりなどや神経痛を和らげたり、自律神経やホルモンバランスを調整したり、免疫力や回復力を高め、体の不調や病気などを防ぐことを目的とした施術ができる。原因の特定できない不調改善、慢性的な生活習慣病などに対しても効果が望める治療法。予防医学としても最強。

介護福祉士(まじでめっちゃ大変な仕事)
・専門的知識や技術を持って、身体上または精神上の障害がある人の、日常生活を支え、心身の状態に合わせて介護する人。または介護する人の介護に関する指導を行う人。

他にも放射線技師、臨床検査技師、臨床工学技士、といった資格もありますが、僕が必要とされてる健康系の資格は、

柔道整復師か鍼師、灸師、あん摩マッサージ指圧師、といった資格だったので、どちらかというと西洋医学も東洋医学もがっつり学べる

鍼師、灸師、あん摩マッサージ指圧師という3つの国家資格を取得できるところにいくことを決めました。


実際に鍼灸の世界に入ってみると、学ぶことがめっちゃ多かったです。

物事の捉え方が全く違いました。

東洋医学は痛めたところだけじゃなくて、他にもいろんな繋がりで不調が起こってるはずだからそっちも治療しないといかんよね。って考え方をします。

だから胃が悪いと足を治療したりします。背中も治療します。手のツボも使って治療したりもします。お腹を使って治療することもあります。

解決方法がひとつじゃないんです。

そこでむずすぎるし面倒だって思う人もいるかもしれませんが、僕は全く逆でした。

人の体の治療法が算数と同じように、この解き方で全部解決できます、なんて単純だったらいいんですけど、人によって生活スタイルが全く違うじゃないですか。

なのに治療法が同じっておかしいよなって思ってたんです。


人によって、合う対策ってものがあって、その人にもっとも合うものを、いろんな治療法の組み合わせで提供できる。

症状ではなく、その人をしっかりみて、現状を解決するという目的に合わせてより良いものを使って痛みや不調の改善をお手伝いする。

僕が頼られている、体を楽にしたい、という需要にバッチリ合う資格だったんです。だから東洋医学の概念は常の面白かったし、実際に患者さんに合わせてもっといい方法で、痛みや不調の改善を体感してもらえるようになりました。

それから僕は開業も内緒でしつつ、接骨院などの治療系に勤めたり、ゴルフ専門のフィットネスジムに勤めたりしました。


途中から企業の福利厚生としてのマッサージやストレッチを行う人になってみたり、出張整体という形で家や会社、ホテルやスポーツの現場に出向いて体をメンテナンスすることもしました。

テレビ局で待機して、芸能人の体をメンテナンスする仕事なんかもやらせてもらえたりしました。超有名な武井壮さんに「このストレッチめっちゃいいね、俺も取り入れるわ」なんて言われた時は嬉しかったなあ。

そんな感じで毎日猛勉強と、技術を磨く日々を過ごしていたある日、僕の日常は激変しました。

親族崩壊編〜母白血病、僕うつ病、愛知県へ強制送還

あれは僕が鍼灸の専門学校の2年生だった頃、

僕の親族が取り返しのつかない事件を起こしたんです。

僕はその事件の収集を任されることとなります。

内容は話せませんが、とんでもないお金が動いていたし、どうにかしないと僕の母も妹も大変なことになるとわかっていました。

まさか自分が8桁近くのお金を集めてこいと言われることになるなんて思わないですよね。

当時23歳です。まだまだガキンチョでした。無理ゲーすぎる。

普段から経営者や企業の偉い人たちと交流はあったものの、僕自身に力があるわけでもありません。

だからめちゃくちゃ悩みました。普通に頭禿げるくらい悩みました。頭痛が治らない毎日を痛み止めでなんとかこなしていたんです。どうにかできるものならしたかった。

でも僕の力ではどうにもなりません。

そしてある時、身内だと思っていた方からめちゃくちゃ脅されることになりました。

お前のせいでこんなことになってしまったんだぞ、なんてわけがわからない理由で脅されまくり、東京の空見れんようにしてやるからなとも言われました。

僕は本当に何も悪いことはしていなくて、ただ必死で母や妹たちを守ろうとしていましたが、追い詰められ方が尋常じゃなかったんです。

その結果、精神的に追い詰められすぎて意識を手放すことになります。

電話で怒鳴られながら、僕はどうしようと頭を抱え、白目をむいて泡吹いて倒れました。

全身がピクピクと痙攣し、呼吸はまともにできませんでした。過呼吸状態から戻ることができませんでした。

電話越しに怒鳴り声が聞こえる、でも体はもう動かせない。

「ああ、これこのままだと酸欠で脳が死ぬなあ」って思ってました。

死んだらどうなっちゃうんだ。まだやりたいことたくさんあるのに。

意識がきれそうになった時、僕はこれまでのことが一気に思い出されていきました。これが走馬灯かあ、って逆に冷静になっていくけど、苦しさは増え、意識はどんどん低下します。

そんな時、住んでいた玄関が開きました。

僕の友人がたまたま近くを通りかかって、家に来てくれたんです。忘れ物を取りに来たらびっくり、家主が床で泡吹いて倒れてるんです。

「おい!どうした!」

そういって駆けつけてくれた彼を僕は「神がかってんだろ」って思いました。まじで救世主だと思ったんです。でも声は出せない、体は動かせない、涙が出ただけで何も伝えられませんでした。

救急車も呼べない状態で、泡吹いて気絶しかけてる僕をみた友達は只事じゃないと思ってくれたんでしょうね。

ドアを開けてすぐ、電話越しでいつまでも怒鳴り散らかしてる声が聞こえた瞬間に携帯の電源を切ってくれました。

そしてすぐに友人の携帯から警察と救急車を呼んでくれました。

彼も医療系の人間だったので、その場で応急処置をしてくれて、苦しくて死にそうになってた僕は、これで助かると思って意識を手放しました。

その友人は僕の部屋から荷物を準備して、とにかく大事そうなものだけ全部詰め込んでここに帰ってこなくてもいいようにしないとダメだと思ったそうです。

僕は基本大事なものを持ち歩いていたので、いつも持っていた貴重品バックと、最低限必要な衣服、靴、金目のものをカバンに詰め込んで救急車に乗せてくれました。まじで優秀すぎてますよね。ほんとすごい尊敬してます。

それからヤバい奴らが家に来たら困るからと警察に事情を説明してくれました。救急隊もなるべく遠くですぐに行けるところに搬送しないといけないと思ってくれたようで、急いでその場から離してくれたそうです。

それから友人のおかげでめちゃくちゃスムーズに話が進みます。

友人を母に会わせたことがあったんですね。愛知県に遊びに行ったときに泊まりに来たりしたので、その時に合わせてました。

だから友人は僕の母に連絡しようって思ってくれたんですね。

僕が救急車で運ばれてから、後で携帯持っていくからと救急隊に伝え、すぐに僕の母に連絡してくれました。

その結果、僕の親族は大慌てで愛知県から新幹線に乗り、僕の運ばれた世田谷の病院へ来てくれました。

僕は点滴をして、数時間後に意識を取り戻します。

ですが僕は何が起こったのかわからない状態でした。

「解離性健忘」という状態になったんです。

これはストレスが強くかかりすぎることで、大事なことや忘れたくないものまで思い出せなくなったりする記憶障害です。

これをきっかけに僕は、これまでの過去で本当に楽しかった思い出や辛かった出来事を一部忘れてしまいました。

実はここまで話してきた内容も部分的に覚えていたものを友人たちに確認しまくって繋ぎ合わせていったものです。

僕はこの事件で、渦中にいたし、どうにかするために動きまくっていた人間だったのに、何をどうしてそうなったのか全く思い出せませんでした。

あまりに元気そうに、普通に話している僕をみて、僕の母と祖母と妹は驚愕します。

でも顔があまりに老けすぎていました。

明日死にますって言われても納得するといった状態で、あまりに心配だったため、東京に1人で残して帰るわけにはいかないと思い、僕を強制的に愛知県に連れ戻すことにしました。

それから愛知県の実家で僕は監禁状態になります。外出することはできませんでした。

タバコだけ吸わせてくれっていって、ベランダでタバコを吸うだけの毎日を過ごしました。

僕自身は何が何だかよくわかっていません。ただ、体がまともに動かない。頭もまともに働かない。解離性健忘に加え、僕はうつ病にもなっていました。

携帯もパソコンもiPadも使えないようにされていました。原因となった出来事が目にはいらないようにしてくれていたんです。悪い刺激があると、発作が出たり、症状が悪化することがあります。だから遠ざけられていました。

その結果、めちゃくちゃ暇でした。

体はとにかくしんどいけど、どうしようもないんですけどね。色々考えることしかできませんでした。

精神科にも通わされました。どうやって通院したかも覚えてませんが、薬をもらって、医者と話して、何もよくならなかったのだけは確かです。

とにかく安静にと過ごしていったある日、僕はこのままじゃダメだ、と思うようになりました。まだ鍼灸師になれていない、せっかくいい感じで物事が進んできたのに、ここで何もかもやめるのは嫌だって思えてきたんですね。

記憶がないのは同じですが、流石に何があったのかを落ち着いて考えられるようになっていました。

で、祖母に全部聞きました。

すべて腑に落ちて、地獄のような毎日を過ごしていたのですが、体が動けるようになったからリハビリさせてくれといい、地元を散歩したりするようになりました。

うつ病の人とか、ストレス抱えてる人はまじでこれ取り入れて欲しいんですけど、きつくてもとにかく体を動かしやすくしようとか、実際にちょっとでもいいから動かそうとすることをした方がいいです。

散歩でもいい。ストレッチでもいい。ちょっと体操してもいい。

今ならゲームでも体動かせるやつありますしね。

体はちょっとでも動かしていくと、ちょっとずついい感じになってきます。

すると体が心の回復を手伝ってくれるようになります。

体がどんどん使いやすくなっていった結果、僕は死ぬほど辛いという状態を受け入れられるようになりました。

ご存知ないかと思うのですが、うつ病はなくなりません。

うつ病はマイナスの世界を認識できるようになる、認識しやすくなるという「癖」とか「特徴」みたいなもので、治るとかそういうものではないんです。

一回うつ病になると、その状態に入りやすくなる、というものです。

だから人の苦しみとか痛みとか、そういったものに敏感になっていきました。

でもなんとか日常を取り戻しました。

鬱じゃない時の自分を使って生活できるくらいまで改善します。

そんな感じで自分の体調を戻すことだけ頑張っていたら、事件自体は最悪の形で収束して、火種はもうとんでこないよねという状態にまで鎮火していきました。

ただ、被害者も増えていました。このことをきっかけにストレスが限界突破してしまった僕の母は、ほぼ白血病となりました。血液を作るところが壊れてしまったんです。だからまともに働くこともできません。

僕はこれまでの東京で過ごして得てきた人脈や仕事、スキルや経験を全て捨てて、愛知県で家族のために働かないといけないと言われました。

でも僕の母はそうは言いませんでした。

「かずばかりに負担をかけちゃってごめんね。でも大丈夫。こっちの生活はなんとかなる。なんとかできるから、あんたはせっかく磨いてきた技術と経験を生かせるようになっておいで。」

僕はめちゃくちゃ悩みました。でもここで何もかもやめてしまうより、働きまくって力をつけていったほうが将来的に家族のためになると思えたので、東京に行けるようにしたいと伝えました。

正直、東京に向かう新幹線は不安で仕方なかった。東京駅についてから、怖くてタバコと酒と友人を頼り、なんとか東京での日常を取り戻します。

友人の家を転々としました。漫画喫茶で寝たりしたこともあったなあ。

鍼灸の学校自体は3〜4ヶ月休みました。普通は退学です。

でも状況を理解してくれた学校のお偉いさんがたが、僕の頑張ってきたこれまでの学びの姿勢も踏まえて、課題を大量にだされ、それをクリアすることで学生に復帰することを認めてもらえました。

その結果、無事に鍼灸師の資格も取得できました。

学生期間中に僕は稼ぎまくり、稼いだお金は全部使いました。セミナーを受けまくったり、治療の技術や専門家としての知識を増やしまくりました。

出張で治療家としての活動もバンバンこなしました。

経営者さま、投資家、モデル、医者、看護師、薬剤師、税理士、サラリーマン、プロスポーツ選手、主婦、子育て中のお母さん、寝たきりの方、半身麻痺の方、難病指定の方、など

こんな感じでいろんな方の痛みや不調改善をお手伝いしてきました。

マッサージを極めようと思って、東京中のマッサージ店に通いまくったりもしました。

整体院もめっちゃ行きました。勉強のためにね。とにかくお金を使って学びを時短していった結果、患者さんの痛み改善を手伝える自信がつきました。

とにかく仕事しまくった。26歳くらいまではそんな感じで修行と仕事の毎日でした。

僕には師匠がたくさんいます。

鍼灸の師匠が4人。整体の師匠が3人。トレーナーの師匠が5人。メンタルの師匠が2人います。

その方々から学んだ結果、治療するのは本当に患者さんのためにはならないと気づきました。

で、どうしていくべきか見え始めていたある日、

僕が自転車で移動していたら、よそ見をしていたトラックが僕に突っ込んできました。

半身麻痺編〜事故、ニート、リハビリ、転機

あれは本当にびっくりしましたね。

空飛びました。走馬灯がまた見えたんです。

ああ、これはやばいやつか。死ぬか?って思いました。

でもなんとか生きてました。当たりどころが良かったのでしょう。

僕が愛用していた8万円のTREKというブランドのクロスバイクは僕の代わりにぐしゃっと変形していました。

僕は全身を打ちつけ、痛みはあったけど折れてはいないという状態でした。頭も無事でした。ラッキーとしか言いようがないです。

その後病院も行って、検査を進めて、いろいろやっていく過程で、なんかおかしい、ということに気づきます。

「あれ、、、左側がなんか動かないぞ・・・?」

そうです。しっかり首のむち打ち状態がひどくなっていって、首周りが腫れていったのでしょうね。その結果神経が圧迫されて首から下の機能がどんどん低下していきました。

時間差でだんだん左半身の力が入らなくなりました。左半身麻痺です。

最終的には左手の握力は7まで下がり、左足は踏ん張ることができずに、歩くと左足が膝から崩れ落ちるようになりました。

ドアノブ掴んでドア開けられない時は涙出ましたね。いやーきつかったなー。


普通の生活はできません。まともに歩けません。大好きなテニスもできません。

慰謝料がっぽりもらえるぜってことで、普通に動けないので仕事が全部できなくなりました。

僕はまた、強制的にニートの生活を強制されることになりました。

それから2ヶ月は体が不自由なままでした。なんとか稼いでいた貯金で向こう3年は働かなくてもいいやって思えていたのですが、

人間何かしら価値を生み出したりしていないとメンタルがやられていくものです。


ずっと部屋に閉じこもっていてもダメ。

一人で外に出かけてもダメ。

生きている意味がないなんて思うようになっていきました。

そうです。うつ状態になっていました。

でも不幸中の幸い。僕は自分のうつ状態に気づいていませんでした。

事故の後は体しんどいものって思ってたので、痛めたばっかだしなってことで普通に過ごしてたんですね。

ただ、気分はどんどん落ち込むし、体は痛いし、動かせないし、ということで酒とタバコばかり消費する日々になりました。

適当に買ったウイスキー、焼酎、ネットでずっと注文してた炭酸水、それでハイボールと焼酎を水割りで飲み続け、つまみはネットで注文してたミックスナッツだけ。

本当にダメダメな生活でした。

でもしんどいからね、と自分を誤魔化して過ごしていました。

噂を聞きつけた友人たちも酒とタバコ、食べ物を持ってきてくれました。

医療系の人たちは僕がうつ状態だったって気づいてたみたいです。

でも楽しそうに見えたから、あまり言わないようにしてくれていました。

その結果、僕は痛みがあんまりなくなってきたことに気づいて、リハビリを開始しました。だいたい2ヶ月半くらいは経っていましたね。

病院行くこと自体がしんどいから、自分でやろうと思いました。今思えばこの出来事がセルフケアだけで通わずに不調を改善できると思えた出来事だったんでしょうね。

そこからは生まれたての赤ん坊と同じです。1から体を使いやすくするために徹底的にリハビリを始めました。

まずは体の硬さをほぐし、動かせる範囲を広げていきました。

やり方はトレーナー時代に学びまくったもので十分です。ストレッチを行ったり、痛みや疲労感があまり残らない範囲でセルフケアを継続しました。

だんだん動かせる範囲が広がってきたら、そこからは固くならないように注意します。

僕たち人間は動かない時間に固まってしまいます。

骨折した時にやるギプス固定を見たことや経験したことがある方はわかると思うのですが、固定した後の筋肉は硬く、細くなり、固まってしまいます。

僕たちの体は動かさない範囲は「使いやすくしなくてもいいところ」だと認識するので、使っていない時間が長いほど体はどんどん使えなくなっていきます。

その反対に、体を使っていけば、使いやすくしておいた方がいいところなんだと思うようになります。そして、働き始めるんです。

僕の体は3ヶ月もの間、全然使えない状態でした。

痛みは残るわ、痺れは残るわ、力は入らないわで頑張るとかそういう話じゃなかったです。

でもそのままだと仕事もまともにできませんし、生きていくことが困難だったのでどうにか仕事に復帰できるレベルまでは回復させたいと思いました。

でもまだイメージが湧かなかったから、最初は痛みと痺れを減らそうと思ったんです。

まず最初にだいたい1〜2週間くらいかけて痛みを減らしていきました。

その後、動かせる範囲を広げていきました。

同時に体が固まらないように日常生活を修正していきました。

酒を飲んで気晴らしするのはやめました。タバコも血行悪くなるし、体調が戻るまではやめようと思って控えました。

そんな感じでやっていたら痛みがほぼなくなり痺れ感もなくなっていきました。だいたい1ヶ月半くらいかかりましたね。

そのくらいになってきたら、ようやく機能を回復させる段階に入ります。

痛い状態で力を入れていっても、正しい筋肉の使い方にならないことが多くて、むしろリハビリ期間が伸びたりするからです。

リハビリ業界でも痛みを我慢してやらないというのは基本です。

痛みを感じた瞬間に筋肉って固くなりますからね。使いやすさと真逆の作用が起こるわけです。

そうなってしまったら本末転倒です。せっかくここまで回復させてきたのに意味ないですもんね。

この過程の最中に痛み止めはほぼ使ってません。通院はしました。保険請求のためにね。


話を戻しましょう。

この段階までいけば痛みはほとんどなかったので、あとは機能を回復させる段階に進みます。

まずはどこにどのくらい力が入るのか確認しました。

今弱いところはどこなのか。どこは使えているのか確認して、弱いところを鍛えていくことを最優先にしました。

それから力を入れるセルフケアを始めていったら、そこから2ヶ月ほどで痛みなく、歩けるくらいには回復しました。

ここまでくるとかなり生活しやすくなります。


時間はたっぷりあったので、医学書を読み漁るために電車を乗り継いで新宿の紀伊國屋という本屋にわざわざ1時間以上かけて通ったりもしました。

そうやって体の使いやすさをさらに改善させ続け、6ヶ月後に握力が戻り、走っても大丈夫になって、なんならテニスも軽めに始められるようになりました。

仕事に復帰するまではいかないけど、だいぶマシになってきたのでちょこっとバイトをしてみたり、今までの患者さんに報告して出張整体を再開したり、

いろんなことをやってだんだん体がいうことを聞いてくれるようになってきたら、このタイミングで母からSOSの連絡が来ました。


僕が東京で頑張っているからと連絡しないようにしてたのですが、僕がようやくなんとか体を使えるようになったし、心配かけずに済むなと思って連絡してみたら、

今度は母や妹たちが不調で限界でした。

「もう限界なの…帰ってきて。」と言われました。僕がいない間もなんとか頑張って生活していたらしいのですが、みんな精神的にボロボロだったようです。

僕はすぐに帰ることにしました。


ちょうど仕事も抱えてなかったし、患者さんも他の方に引き継いでいたりしたので、そろそろ関東での修行を終えてもいいだろうと思い愛知県に帰ることにしたんです。

東京でお世話になった人たちには、愛知県に戻ることを伝えました。みんないつでも遊びにこいと言ってくれて、応援してくれて嬉しかった。

ニート生活で得たものはとても大きかった。


通院じゃなくても、痛み止めじゃなくても、手術じゃなくても、僕自身の体は半身麻痺から復活してテニスの大会に出れるくらいまで回復しました。

これだけの成果を手に入れられたのが東京生活の8年間でした。その期間中にトレーニングを学び、治療を学び、地獄を経験して、心も整えられるようになり、リハビリでも成果を出せた。

僕の中で体を使いやすくするためのノウハウが全て整っていったと証明するのに十分な出来事でした。

あとは幅を広げていくだけ。とりあえずニートだけど、愛知県に戻ってからはどんなことしようかなってワクワクしていました。

愛知県帰省編〜有名人の同級生、TikTok、日本一通わせない鍼灸師になる

愛知県に帰ってからもニートは継続しました。

まずは愛知県の生活に慣れることから始めました。

その中の一つには母の痛みを減らすことも含まれました。

僕の母は事件後から「ほぼ白血病」という状態で、仕事もまともにできない状態でした。

血液がうまく働いてくれないため、病気になったらすぐに悪化するし、基本的に全力疾走の後みたいな体の疲労感がなくならないので、

普通に生活しようにも疲労感がすごく、体を動かさないようにして体力を温存する日々が続いていたんです。

人間の体は動かさないと固まってしまうという性質があるため、母は当たり前のように五十肩になっていて、他にも体の痛みを感じていました。

なので、母の血液の不調を改善することは薬でも手術でもほぼ不可能だったので、せめて痛みを減らしてあげようと思いました。

最初は施術をしていたのですが、そうなると僕の施術をし続けないといけない体になってしまいます。

これでは通院し続けることと何も変わりません。

しかも、自分でからだを動かすという筋力の回復とか、動きやすくなるという回復効果は得られません。

なので、痛みを減らすこと、痛みが起こらない体の使い方に変わること、これらを目的としたセルフケアのプログラムを考え、実践してもらいました。

僕の母親は働いていた若い頃は美容師、それ以降は喫茶店、そのあとは体調不良などもあってほとんど家事と育児に専念してました。

そのため、健康というジャンルにおいては超素人です。

ですが、僕のプログラムは素人でも簡単にできるように作っていますので、やり方を見ながら実践していくと、やるたびに肩の痛みが減り、全身の動きも楽になっていきました。

それから数週間後、母の肩はほとんど痛みなくあげることができるようになっていました。

最初は続けるのが大変だったのですが、何事も始める時はしんどいものです。

今までやったことがなかったことですからね。

僕もそれをわかっていたので、無理のない範囲でやれる方法も教えていました。

その結果、数ヶ月後には肩を上げることに問題がなくなりました。

そして、体の痛みがなくなったことで、体をとても使いやすくなりました。

相変わらず血液の病気は薬で症状を抑えることしかできないけど、痛みが減ったことで気持ちも前向きになっていきました。

セルフケアをやっていたことで、体を動かしていく癖もついたため、自然と筋力も戻ってきました。

別に無理な体操とか、頑張って歩くといったことはしていません。

でも体の力が少し入れやすくなるだけで、生活は一気に豊かになっていきます。

今まで3分も歩いたら息切れして休憩していた状態だったのですが、10分、20分と伸びていき、1時間ほどの買い物をしても問題なくなっていきました。

今となっては3時間くらい外出できるくらい体力が増えています。

この差はめちゃくちゃ大きな差です。

ほとんどを家で過ごし、毎日をただ生きるだけでもしんどかった状態から、

買い物に出かけることもできるようになったし、外食を楽しむこともできるようになりました。

「めちゃくちゃ改善したよ、ありがとう」と何度も言われて、これまでの修行を続けてきて本当に良かったと思えました。

このために学んできたと思えるくらいでした。

正直、母が痛みに悩み、毎日を辛く過ごしていたという状態になるまで僕は我慢させていたことを反省して、痛みを減らすためにサポートしていたんですね。

これまで家族に協力もしなくて自分が成長するために家族を後回しにしてきたことをずっと後悔していました。

この本音を母にぶつけると、母からの返答は僕の想像とは全く違うものが返ってきました。

「ありがとうね。でもそれは私たちもやりたかったことだから、あんたに否定される必要はないよ。帰ってきてくれてとても助かったし、実際私たちはもう十分よくなったから大丈夫。そんなことよりも、あんたは私たちにしてくれたみたいに、痛みを減らすために学んできたことをもっと多くの人に役立てなさい。きっと喜んでもらえるし、それができることはすごいことだよ。私はもう大丈夫だからもっとたくさんの人を手伝ってあげてね。」

そう言われ、僕はこれまでのマイナスに思っていた気持ちが一気に晴れていきました。


さらに、

「もうあんたのために時間を使っていいよ。やりたいことをどんどんやってみたら?そうやっていつもうまくいってきたでしょ?」そう言われました。

思い返せば、僕がしんどかった時に母は、アドバイスをするとか、否定するとかはしてきませんでした。

私には何もできないけど、聞くことはできるからと何度も聞いてくれたし、僕のことをずっと応援してきてくれていました。

僕はそのことにずっと感謝していたんです。ようやく恩返しができたと思えました。

それから僕は自分がもっと多くの人に役立てる人間になろうと思えました。

そのためにもまずは自分が生活を取り戻す必要があります。

社会復帰もしないといけません。

なのでまずは会社員になりました。

仕事は訪問で鍼灸やマッサージをする仕事にしました。

寝たきりの患者さんや、病気で体が不自由になった方のいる老人ホームや病院の管轄にある施設、患者さまのお家に直接行って施術をする仕事です。

その結果、お金もある程度使えるようになっていったので、そろそろ自営業の方も進めようと思って、情報収集を始めました。

かず院長誕生編〜中学の同級生と再開→開始5日で7万人超え、治療院なしで開業

自営業の方を始めようと思っていたある日、僕は中学生の時に転校した中学校で初めて会話してくれた、仲良くしてくれた子をSNSで見つけます。

どうやら飲食店を経営してるらしい、といった感じの情報しかなかったので、とりあえず連絡して、お店にも行ってみました。

久しぶりに会って、話をしていると、どうやらいろんなことをやって稼いでいるようでした。

テレビにも出ちゃったり、占いで稼いだり、料理人なのでそっちでも稼いでみたり、本当にいろんなことをやっていました。

そこで僕の現状を伝え、どうしてこうかなって思ってるんだと伝えたときに、彼から教えてもらったのがTikTokでした。

僕は正直、若い女の人が踊ってるSNSって感じだったので仕事に使えるなんて思ってませんでしたが、彼の言ってることは筋も通っていて、今の自分になんとなく必要なことかもしれないと思えました。

正直最初は、動画を投稿して話すなんてとてもじゃないけど自信はありませんでした。

うまく話せなくて、最初の動画を1分撮影するのに60分以上かかったこともあります。編集もしてない、一発撮りで何十回も撮り直してようやく1本、みたいな。

それでもとりあえずできるようになるまでやってみるべ!という感じでやって、

7日で動画を100個投稿しました。編集はほぼしてません。とりあえず言いたいことを言いまくったんです。

そしたらめちゃくちゃバズりました。僕の動画がどんどん伸びて、たった一個のバズった動画(今では400万回以上再生されています)のおかげで、

フォロワーの数が7万を超えました。そこから10万人も超え、ヒカ○ンさんにもフォローしてもらえるなどして、

多くの方に見てもらえるようになりました。

始めたのは2020年3月、でもそこから毎日何十人ものかたのコメント返信とDM返信、LINEのお問い合わせと、セルフケア指導を繰り返して、

2024年11月時点で、合計3万回以上のケアサポートをしてきました。

オンライン完結、施術0、薬0、通院0で痛み改善をお手伝いしまくったんです。

僕以上にオンライン完結で通わせずに改善してもらおうなんていう人はいません。

僕以外の治療家さんは、通ってもらってなんぼの商売をしていますが、僕は通わずに改善することのすばらしさを知っているし、

本当の意味で快適な体になるということは、セルフケアを手に入れることでしか叶わないと知っています。

セルフケアを手に入れてない人は永遠に通院し続けるし、いずれ薬や手術、入院や寝たきりという状態になっていくことを何千回と見聞きしてきたからです。

僕は痛いのが本当に嫌いです。辛いのもしんどいのも嫌です。

だからこそ、僕に関わる人には、本当の意味で楽になってほしいと思っています。

通院し続けるなんて状態は、本当の意味で楽になったとは言えません。

通っている時間もお金も手間もなくなれば、もっとやりたいことにお金も時間も使うことができるようになります。

そのために最も重要なのはセルフケアだと僕は知っているので、

僕のことを頼って相談しにきてくれる人には、施術に頼ってないで、セルフケアを手に入れた方がいいよって言い続けています。

だって本当に楽になれるんですもん。通院するよりも圧倒的に早いし簡単だし、効果を最大化できるというのも大きな利点です。

セルフケアって道具いらないですからね。

いつでもどこでも、どんな時でも痛み改善を進めることができます。

忙しくても、移動できなくても、今すぐどうにかしたい時でも、セルフケアなら痛みを減らして、楽になることができます。

通院する場合は、予約して、待って、施術を受けて、移動しないといけません。

もうそんな手間はいらないんです。

時間もかかりすぎますしね。

セルフケアならそれ全部無くせます。

自分でやればお金もかかりません。セルフケア以外の選択肢はお金も時間も手間もかかりすぎるので、短い人生を無駄に浪費してしまう選択肢を選ばないでほしいです。

だから僕は、セルフケアの素晴らしさを伝え続けています。

かず院長の思い〜何よりも大事なこと、地獄を抜ける方法、2000万円得する話

ここまでが僕の過去〜現在です。

自分でもすごい色んなことを経験できた人生だったと思えるのですが、ここでは話しきれてない部分もたくさんあるので、また追記などしていきます。

最後にあなたに伝えたいことをまとめておこうと思います。

ある経営者さんが僕のサポートを受けてくださった時にこんなことを言っていました。

「お金をどれだけ持っていても、体がいうことを聞かなかったら楽しいことにお金を使えないから意味がない。」
「痛みが旅行もゴルフも、家族との時間も全てを台無しにしてきた。」
「痛みがなくなってよかった。健康でいられることは人生で一番大事な投資だった。」

この方は仕事をバリバリやりまくっていて、働かなくても家族全員が働かなくても生活していけるというくらいお金を持っていたのですが、

痛みがあることで家族と旅行もできない、経営者仲間とゴルフもできない、ちょっと外食するのも一苦労という状態で、

特に酷かったのは腰痛と膝の痛みでした。

痛み止めを打っては仕事して、帰ったら痛くて寝込んで、起きたら痛み止め飲んで仕事に行く、という生活を何十年も続けてきたと言ってました。

暇さえあれば整体や治療院に通っていたそうです。

それでも痛みがなくならない、痛みが減らないのは苦痛だから、一生このまま通院し続けないといけないと思っていました。

そんな時に僕に相談してくれて、実際に電話越しにセルフケアを試していただいて、揉んでも伸ばしてもなかなか減らなかった症状がすーっと減っていくのを体感して、

「こんな簡単なことでいいの?もっと早く相談しておけばよかった」

と問題を先延ばしにしたことを後悔していました。

痛み改善は、誰かに頼らないといけないと思い込んでいたんですね。

でも現実は真逆なんです。

痛み改善は、ただ痛みを減らすだけではダメなんです。

痛みを減らし、痛くない状態を長持ちさせ、痛みが起こらない体に整える。

これが超重要です。

ちなみに通院するという手段は、この3段階のうち、最初の段階しか叶えてくれません。

つまり、あと2段階を満たすことができないので、改善しにくいのです。そりゃ痛みがなくならないワケだよねって話。

逆に言えば、通院しながらでも、あと2段階をクリアしてしまえば、痛みに悩む人生を卒業できます。

なんなら、最初の痛みを減らすことなんて、早い人なら3〜5分でできちゃうくらい簡単ですからね。

だったら治療院に通ったり、待ったり、施術を受けたりする1〜2時間を自分でサクッと数分で改善できるようになっていったほうが良くないですか?

この経営者さんも、時間を無駄遣いしてきたことが悔しいと言っていました。賢い人はこういう感覚がわかります。これがわかれば完治まであと一歩。あとは治ることをやるだけです。

実際、僕からセルフケアを学んで痛みを簡単に減らせるようになりました。

忙しい業務の合間にもサクッと数分で痛みを減らせると喜ばれました。

そうやって痛みを減らせるようになっていったら、その効果を長持ちさせる方法も使っていくと、治療院に通った後でも次の日には痛くなってたのに、

3日、4日と痛くない状態を長持ちさせることができたし、

なんなら通院しなくても自分で改善できるようになったので、忙しい時でも痛みがない体に整えることができるようになっていきました。

腰に関してはヘルニアから足の痺れまで出ていて、手術しないと楽にはならないでしょうと医者からも言われていました。

そんな状態でも痛みを減らせるようになっていけたし、

痛みが起こらない体に整える方法を使ったら、仕事で無理をしても、ちょっと重たいものを持ち上げても腰の痛みに悩むことがなくなりました。

疲れたら痛くなるのが当たり前、という状態から、頑張っても痛みが出ないのが当たり前の日常を手に入れられたんです。

腰が痛くなくなっていくたびにやれることも増えていきました。

お子さまやお孫さんと旅行にいけました。それまでは飛行機に乗って移動すると、長時間体をほぐせないので腰の痛みが悪化していたんです。

電車もタクシーもずっと座ってるのがキツくて長距離の移動は諦めていました。でも腰が痛くないし、痛くなりそうになったら、自分でケアできるから不安はなくなったと言っていました。

ゴルフも同様です。ラウンドの最中に痛くなると、何ホールかは打たずにカートの運転手になることもありました。

ひどい時はカートを動かすのもきつくて、座ったまま打たずに終わるまで安静にしていることもあったそうです。

そんな状態から腰痛と無縁の体に変わる方法を学んだだけで、痛みを気にせずゴルフを楽しめるようになりました。

痛みがないから思いっきりスイングできるようになって、スコアも良くなったからさらにゴルフが楽しいと思えました。

いつもは接待だけなんとかこなしていたけど、仲間と楽しくゴルフすることだってできました。

この経験からセルフケアを学ぶことは人生で一番やってよかったことの一つでしたと言っていただけましたし、もっと良くなりたいということで膝の改善方法や、仕事の効率を良くするための肩こり解消、体力の増やし方なども教えてほしいと頼まれるようになりました。

セルフケアを学んで本当に良かったと思っていただけて、僕も痛み改善をお手伝いできてよかったと思えました。

僕も同じように痛みに悩んできたので、セルフケアを学ぶことの重要性を誰よりも理解しています。

実際、セルフケアを教えられるほど学び続けてきたことで、関わってくださった方の快適な人生に貢献できているし、自分も快適な体で毎日を過ごせるようになっています。

だからこそ、これからも関わろうとしてくださるあなたや、快適な体を手に入れたい人の力になるために活動を続けています。

僕の発信では、快適な体を手に入れるためのセルフケアを全て、あなたに伝授いたします。

あなたの現状に合うものは、有料の教材や、実際に僕に直接相談できる機会に手に入れていただけるようにしていますので、

最短最速で改善したい思う方はこちらの公式LINEにご連絡ください。

一人一人、メッセージを確認してお返事しております。

「痛い、辛い、くるしい」そんな思いを一生抱えて過ごし、お金も時間も手間も浪費してしまうことはもうやめましょう。

ある研究で、痛みがなくならずに生きていった人と、痛みがない状態で生きていった人で死ぬ間際に手元に残っているお金が2000万円以上も差がついてしまうということがわかっています。

痛みがある人は、通院、手術、介護、薬、治療といったあらゆるサービスを使いまくらないと生きれない体になってしまうのに対し、

痛みがない人はこれらが全ていらないため、旅行、買い物、投資、趣味、大切な人との大切な時間に資産を使い続けることができていました。

人は必ず老化します。

お金はどんどんかかるようになります。

今が一番若いのです。

だから今、健康になろうとセルフケアを学ぶことが重要なんです。

というか、痛みと無縁になることは人生最大の投資です。健康な体があれば、いくらでも働けるし、お金も増やせるようになります。

セルフケアを学び、健康な体を作れるようになっていただき、最高の人生にしてください。

そのために僕からセルフケアを学ぼうとしてください。

僕か学ぶという行動が、あなたの人生最高の投資になることをお約束いたします。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

ここまでで、痛みや不調を改善するためのコツや、大事なことをストーリーを交えてお伝えしてきましたので、何度も読み返していただけたら嬉しいです。

かず院長



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僕は患者さんを施術ゼロで完治させるお手伝いをしています。
そんなこと不可能だと思われるかもしれませんし、怪しさを感じるかもしれませんが、紛れもない事実です。
すでに3万件以上の痛み改善をお手伝いしてきました。

今治っていない人はもうわかっているはずです。施術を受けるだけでは治らない、と。

僕も治らなかったし、痛みや痺れ、動けない苦しさをたくさん味わってきたのでわかります。
もういい加減、完治したいですよね。

そんな治せなかった僕でも、
麻痺していた僕でも完治して、

テニスの試合で勝てたり、妻や子どもと遊び放題の体を取り戻せたのは、

完治できるセルフケア(自分で治す方法)を学んだからでした。

正直、痛みを減らすのって簡単なのに知らない人が多すぎるので、「マジでもったいねえー」って思ってます。

素人でも楽勝で改善できます。
治せる方法、知らないだけ。

あなたもできるので、
僕から学んでください。

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